石清水八幡宮からの勧請、アヂスキタカヒコネ祀る陸奥国一宮
[住所]福島県石川郡石川町下泉269
[電話]0247-26-7534
石都々古和気神社(いわつつこわけじんじゃ、石都々古和氣神社)は、福島県石川郡石川町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「石都都古和気神社(陸奥国・白河郡)」に比定される式内社(小社)。陸奥国一宮の候補の一つ。都々古別三社の一社。「全国一の宮会」に加盟している。
味秬高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)を主祭神とし、大国主命(おおくにぬしのみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと。八幡神)を配祀する。
八幡山と呼ばれる山の頂上に鎮座し、創建の年代は不詳だが、八幡山には磐境が多数あり、古代から祭祀の地とされていたことがわかる。
平安時代の永承6年(1051年)、源有光が源義家の安倍一族追討の軍に加わって功績を挙げ、代官として石川の地を賜った。
有光は康平6年(1063年)にこの地に移って名を石川有光とし、八幡山山頂の当社東側に三芦城(石川城)を築城。
治暦2年(1066年)、源氏の氏神である石清水八幡宮の分霊(八幡神・大国主命)を勧請して石都々古和気神社に合祀した。
有光以降、25代528年間にわたって石川氏の居城となり、尊崇された。なお、当社は進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載されている。
なお、当社のほか、馬場都都古別神社、八槻都都古和気神社、宮城県塩竈市の鹽竈神社も陸奥国一宮を称す。
式内社「石都都古和気神社」に原則として論社はなく、当社への比定で一致しているが、茨城県の大子町下野宮の近津神社が式内社を主張する場合がある。
馬場と八槻とこの近津神社はいずれも久慈川沿いに鎮座し、近津三社と総称される場合がある。
【ご利益】
厄災除け、家内円満、縁結び
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[電話]0247-26-7534
石都々古和気神社(いわつつこわけじんじゃ、石都々古和氣神社)は、福島県石川郡石川町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「石都都古和気神社(陸奥国・白河郡)」に比定される式内社(小社)。陸奥国一宮の候補の一つ。都々古別三社の一社。「全国一の宮会」に加盟している。
味秬高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)を主祭神とし、大国主命(おおくにぬしのみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと。八幡神)を配祀する。
八幡山と呼ばれる山の頂上に鎮座し、創建の年代は不詳だが、八幡山には磐境が多数あり、古代から祭祀の地とされていたことがわかる。
平安時代の永承6年(1051年)、源有光が源義家の安倍一族追討の軍に加わって功績を挙げ、代官として石川の地を賜った。
有光は康平6年(1063年)にこの地に移って名を石川有光とし、八幡山山頂の当社東側に三芦城(石川城)を築城。
治暦2年(1066年)、源氏の氏神である石清水八幡宮の分霊(八幡神・大国主命)を勧請して石都々古和気神社に合祀した。
有光以降、25代528年間にわたって石川氏の居城となり、尊崇された。なお、当社は進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載されている。
なお、当社のほか、馬場都都古別神社、八槻都都古和気神社、宮城県塩竈市の鹽竈神社も陸奥国一宮を称す。
式内社「石都都古和気神社」に原則として論社はなく、当社への比定で一致しているが、茨城県の大子町下野宮の近津神社が式内社を主張する場合がある。
馬場と八槻とこの近津神社はいずれも久慈川沿いに鎮座し、近津三社と総称される場合がある。
【ご利益】
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