対馬国一宮の可能性があるのに主張しない、神功皇后ゆかりの古社
[住所]長崎県対馬市厳原町中村645
[電話]0920-52-0073

厳原八幡宮神社(いづはらはちまんぐうじんじゃ)は、長崎県対馬市厳原町中村にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 対馬国 下県郡「和多都美神社」に比定される式内社(名神大社)の論社。歴史的な一宮としての対馬国一宮の論社。

正式な社名は八幡宮神社で、単に厳原八幡宮とも。対馬国の国府・国分寺の守護神である国府八幡宮だったと考えられる。戦国時代ごろから府中八幡宮とも呼ばれた。

社伝によれば、神功皇后が三韓征伐からの帰途、対馬の清水山に行啓し、この山は神霊が宿る山であるとして山頂に磐境を設け、神鏡と幣帛を置いて天神地祇を祀ったことから始まる。

白鳳6年(655年)、天武天皇の命により清水山の麓に社殿を造営して八幡神を祀った。

御祭神は応神天皇(第15代天皇)、神功皇后(第14代天皇の皇后で、第15代天皇の母)、仲哀天皇(第14代天皇)、姫大神、武内宿禰(皇族で、第15代天皇前後の重臣)。

対馬には上県郡と下県郡に八幡宮があり、上県郡のものを上津八幡宮(現 海神神社)、下県郡の当社を下津八幡宮と並び称した。

明治期、式内社に比定されたために和多都美神社と改称したことがあったか、また八幡宮に戻した。近代社格では県社

現在は当社自身として式内社、対馬国一宮を称しておらず、「全国一の宮会」に加盟していない。対馬国一宮は海神神社とされる。

境内社に、今宮・若宮、天神社、宇努刀神社、平神社がある。宇努刀神社は上県郡の、平神社は下県郡の、それぞれ式内社。

宇努刀神社(須佐男命)は、佐賀村において、神功皇后が三韓征伐からの帰途、自ら祭祀したと伝えられる。

戦国時代の延徳3年(1491年)6月14日、当社境内に遷座。明治13年(1880年)、村社に列した。例祭は旧暦6月15日。

平神社(天穂日命仁徳天皇日本武尊莵道皇子)は、天日神命が津島県主の時に祖神として天穗日命を祀り、後に3柱を合祀した。

明治13年(1880年)、やはり村社に列した。例祭は旧暦8月15日。

なお、式内社「和多都美神社」の論社は他に、厳原町久和東浜の乙和多都美神社がある。

【ご利益】
厄災除け、武運長久・勝運、子宝・安産
厳原八幡宮神社 - 対馬国一宮の可能性があるのに主張しない、神功皇后ゆかりの古社
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