魏志倭人伝の、「1.距離方角」に掲載された、邪馬台国やその国々の官と戸数をまとめて表にしてみました。
弥生時代にムラやクニがあったことは確実で、魏志倭人伝はそれらの極々一部の名を伝えている、という理解でよいかもしれません。
日本各地でも様々な遺跡で復元されつつあるそうしたムラやクニに、実際に人が生活しており、そこには当時の中国人に「官」と表現されるオサ(長)やその補佐役がいて、官の共通性からも、互いのムラやクニは行き来し、あるいは連合していたこともうかがえます。
一つには、もう魏志倭人伝は邪馬台国論争の真っ只中に置かれている資料であるため、そうした牧歌的な感想をもって、当時の日本を夢想することもできづらくなっていること、またもう一つは、表を見れば分かるように、魏志倭人伝で使われている当時の倭を表す言葉の漢字がヒドすぎる、ということ。
上の二つのことは全く違うことを言っているようで、どこかでは通じ合っている、という気がしてなりません。
弥生時代にムラやクニがあったことは確実で、魏志倭人伝はそれらの極々一部の名を伝えている、という理解でよいかもしれません。
日本各地でも様々な遺跡で復元されつつあるそうしたムラやクニに、実際に人が生活しており、そこには当時の中国人に「官」と表現されるオサ(長)やその補佐役がいて、官の共通性からも、互いのムラやクニは行き来し、あるいは連合していたこともうかがえます。
一つには、もう魏志倭人伝は邪馬台国論争の真っ只中に置かれている資料であるため、そうした牧歌的な感想をもって、当時の日本を夢想することもできづらくなっていること、またもう一つは、表を見れば分かるように、魏志倭人伝で使われている当時の倭を表す言葉の漢字がヒドすぎる、ということ。
上の二つのことは全く違うことを言っているようで、どこかでは通じ合っている、という気がしてなりません。
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