・所在地:京都府京都市山科区山科御陵上御廟野町
・経緯度:北緯34度99分74.75秒 東経135度80分69.97秒

・時 期:7世紀末~8世紀
・時 代:古墳時代終末期
・形 状:八角墳
・特 徴:-
・指 定:宮内庁治定

【概要】
宮内庁により「山科陵(やましなのみささぎ)」として第三十八代天智天皇の陵に治定されている。

被葬者の実在性にも、天皇陵古墳に比定することにも問題がない、つまり、「天智天皇陵」と呼称してもほぼ間違いのない古墳。このような古墳は非常に稀であり、他には天武・持統合葬陵の野口王墓があるのみともされる。

築造年代は7世紀末~8世紀、古墳時代終末期にあたる。古墳の大きさは、上円対辺長約46メートル、下方辺長約70メートル、高さ8メートル。

八角墳は7世紀の中葉になると、大王墓のみが営むようになる。現在知られているかぎりでは、他に奈良県桜井市の段ノ塚古墳(現舒明天皇陵)、奈良県高市郡明日香村の野口王墓(現天武・持統陵)、一般に文武天皇陵と考えられている明日香村の中尾山古墳など。

これらのほかに、奈良県高市郡高取町の束明神古墳(草壁皇子の真弓山稜か)、方形墳の上に八角形の墳丘を造っている可能性のある明日香村の岩屋山古墳(斉明天皇陵か)などが八角形墳の可能性を指摘されている。

2015年2月、日本考古学協会の学者などによる立ち入り調査が行われた。宮内庁が毎年実施しているものの一環。

【関連サイト】
御廟野古墳 - Wikipedia

【関連サイト】
天智天皇陵である八角墳・御廟野古墳で日本考古学協会など学者による立ち入り調査 - 京都市山科区