福岡県の古賀市教育委員会は2015年2月20日、同市の古墳時代後期(6世紀末から7世紀初め)の船原古墳が墳丘長42メートル以上の前方後円墳であることが明らかになったと発表しました。この古墳では、全国で類例のない金銅製馬具など200点以上の遺物が埋納坑から出土しており、これまで直径約20メートルの円墳とされていましたが、遺物の質、量と古墳の規模が釣り合わず、市教委が2014年5月から古墳を再調査していました。西日本新聞が報じています。画像は船原古墳出土物「金銅製歩揺付飾金具」(出典:古賀市公式サイト)
船原古墳(ふなばるこふん)は、正式には船原古墳群3号墳。当時の周辺の首長の墓と考えられています。横穴式石室はベンガラ(赤色の顔料)で彩色した巨石を用いた装飾古墳でした。盗掘を受けたため出土品は少なかったのですが、金銅製の装飾品が発見され、葬られた人物の地位の高さがうかがい知れます。
今回の再調査で、前方後円墳と判明し、大和政権との関係が大きくクローズアップされてきます。大和政権に従属していた、権力者の可能性が出てきました。
古賀市の公式サイトでは船原古墳やその出土物について詳しい特設ページがあります。
今後の更新で、ここに今回の発見である前方後円墳だったこと、新たな埋納坑(長さ4.6メートル、幅2メートル、深さ0.8メートル)の確認、その底から5組の、馬の口にくわえさせて手綱をつなぐ鉄製の「環状鏡板付轡」の出土などが記載されることでしょう。
【関連記事】
・船原古墳出土の金銅製馬具などを復元、馬の写真に装着したパネルを市役所に展示 - 福岡・古賀
船原古墳(ふなばるこふん)は、正式には船原古墳群3号墳。当時の周辺の首長の墓と考えられています。横穴式石室はベンガラ(赤色の顔料)で彩色した巨石を用いた装飾古墳でした。盗掘を受けたため出土品は少なかったのですが、金銅製の装飾品が発見され、葬られた人物の地位の高さがうかがい知れます。
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