今さら邪馬台国03 - 応神天皇、漢文と聞いてお得意の百済からの招へいを提案す
通説によると、魏志倭人伝は、三段の構成に分けられます。

1.帯方郡から出発して、女王国に至るまでの方角と道程、国々(1.距離方角)

邪馬台国、女王国を比定する際に最も重視される部分です。論争の主要ポイント。邪馬台国への距離や方角であり、様々な解釈が生まれています。魏志倭人伝の中でここに一度だけ、「邪馬壹國」の文字が出てきます。この個所には「卑彌呼」(卑弥呼)は出てきません。

2.倭国の風俗・風習、地理、特産品など(2.風俗風習)

ここには邪馬台国、女王国、卑弥呼などの言葉はなく、当時の倭の全体としてのあり様を描いています。この風俗・風習、地理、特産品によっても、論争になることがあります。

3.遣使と魏帝の制書、倭国の最新情勢(3.最新情勢)

「卑彌呼」が初めて出てきます。その王になる経緯や有名な「鬼道」について。魏に使者を派遣して、魏帝から「親魏倭王」の称号と銅鏡百枚を含む贈り物の記述があります。卑弥呼の死やその墓の記載もあるため、やはり論争のポイントの一つになる部分です。

ただし、原文は漢文、句読点もなく連続して記述されている漢字が羅列してある文章ですので、どこで区切る、どう読む、というのも議論となりますし、上記はよく言われている、あくまでも便宜的な構成の一例です。

原文がそのように分かれているわけではありません。ただ、全体としては、諸説あるものの、

邪馬台国=女王国、その女王は卑弥呼

という等式を大部分の説は採用しており、通読してみても、そのように読むのが自然かな、と思われます。