・掲載:『考古学論叢』第十五輯、昭和15年(1940年)4月
「倭」がwiの音写であり、九州の人々が自国をwi国、自身をwi人と呼んだものと推測。つまり、九州は「火の国」であって、そこから「ビ国」となったとする。

「倭面土」はヰモト、すなわちVimotoであり、後にこの音をもとに「日本」としたという。「ひのもと」に通じる、などとした。

耶馬台国はやはり「ヤマト」であって、その発祥地として九州の筑後山門郡、あるいは肥後菊池郡の山門郷を想定した。

その意味で、邪馬台国九州説であり、邪馬台国を今の福岡県、あるいは熊本県に比定したことになる。