・掲載:『考古学雑誌』第二巻第五号、明治45年(1912年)1月

明治44年(1911年)末、『東洋時報』において「江田の古墳と女王卑弥呼」という論文を発表、その内容を改めて問うたのが、この論文。

江田村古墳、つまり江田船山古墳(熊本県・玉名郡)とその出土物から、『魏志』倭人伝に記載のある倭の女王・卑弥呼と関連付けて論じる。

この墓こそが、倭人伝に記載された卑弥呼の墓、とする。ただし、その後の研究で、この江田村古墳の年代が、卑弥呼との時代と大幅にかい離していることが明らかになり、この論文は忘れられる形になる。

しかし、考古学の方面からほぼ初めて、邪馬台国や卑弥呼について論じた研究であり、考古学者の同問題参入を促した高橋健自に先んじること10年余り、古墳と邪馬台国という分野においては先駆け的存在となったと言える。

また、21世紀になってからも、江田船山古墳と邪馬台国の関わりを論じる説(荒木信道)は登場している。

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