・掲載:『やまと叢誌』第一、明治22年、養徳会

鶴峰 戊申(つるみね しげのぶ、1788-1859)は、江戸後期の国学者。豊後の人。通称、和左治。蘭文法に則り、最初の国文典である「語学新書」を著した。のち、水戸藩に出仕。

文政年間(1820年ごろ)の「襲国偽僭考」において、邪馬台国の比定地を「大隅国曽於郡」とし、邪馬台国熊襲説を主張。卑弥呼の墓を薩摩国の可愛陵(えのみささぎ)に比定した。

倭人は熊襲であるとし、邪馬台国は大和に擬した熊襲の僭称と断じた。よって、遣使も熊襲であり、倭国王・帥升は熊襲の王の名、とした。卑弥呼も神功皇后に擬した熊襲の僭称とする。

『三国史記』『東国通鑑』の倭人関係の記事をすべて熊襲との関係と解し、『宋書』に見えるいわゆる倭の五王についても、熊襲による僭称と指摘。趣旨や意図は全く異なるものの、発想としては、古田武彦に連なる、九州王国論の先駆けとも言える。

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