・刊行:1922/1/1
・著者:稲葉君山
・出版:大鐙閣
・『支那社会史研究
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稲葉君山は、論文「漢委奴国王印考」(『考古学雑誌』1-12・M44)において、三宅米吉の金印に関する説を批判、
1.金印は「奴」のような小国に与えるものではない。
2.金印を与えるのは宗主国(中心の統率国)に対してであって、その陪従者(被統率国)ではない。
3.漢が、倭の陪従者である「奴」を認めて大国の王とし、金印を与えたとするのは、すなわち漢制に反している
とした。三宅米吉は従来の「委奴=イト」説を排斥したが、稲葉は「委奴=ヤマト」説を唱えることになる。
委奴=邪馬台国であり、その所在地を現在の奈良県に求め、邪馬台国畿内説を展開した。
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・【邪馬台国論争】今までの研究・論争まとめ - 畿内説
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稲葉君山は、論文「漢委奴国王印考」(『考古学雑誌』1-12・M44)において、三宅米吉の金印に関する説を批判、
1.金印は「奴」のような小国に与えるものではない。
2.金印を与えるのは宗主国(中心の統率国)に対してであって、その陪従者(被統率国)ではない。
3.漢が、倭の陪従者である「奴」を認めて大国の王とし、金印を与えたとするのは、すなわち漢制に反している
とした。三宅米吉は従来の「委奴=イト」説を排斥したが、稲葉は「委奴=ヤマト」説を唱えることになる。
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