・刊行:1975
・著者:鈴木武樹
・出版:大和書房

・『邪馬台国〈1〉―論集 (1975年) (日本古代文化叢書)』をアマゾンで購入

・漢籍倭人考(抄)(菅政友)
・倭女王卑弥呼考(白鳥庫吉)
・卑弥呼考(湖南・内藤虎次郎)
・耶馬台国の所在に就て(藤井甚太郎)
・耶馬台国及び卑弥呼に就て(橋本増吉)
・魏志の倭人伝(抄)ー<漢籍に見えたる倭人記事の解釈>から(喜田貞吉)
・支那古地理志の解釈について(坪井九馬三)
・魏志倭人伝の土俗学的考察(中山太郎)
・耶馬台国論を読みて(豊田伊三美)
・魏志倭人伝の風俗記事に就て(石村貞吉)
・古代日本の女治ー『女人政治考』から(佐喜真興英)
・解説(鈴木武樹)
・邪馬台国関係文献目録 1887~1945・8・15(横山学)
参照

収録されているのはほとんどビッグネームではあるが、豊田伊三美は、在野の研究家、とされ、生没年不明。

伊都国を起点とする放射式読解法をいち早く、1922年に『考古学雑誌』で提案した。論文名としては、「耶馬台国論を読みて」が確認できている。基本論文集にも収録されている。

となれば、邪馬台国研究史を変えたとされる、榎一雄の放射説(1947年)よりも25年近く前に、近い考え方が提出されていたことになる。

ただし、伊都国から投馬国は山陰海岸行路、邪馬台国は瀬戸内行路とし、邪馬台国に関しては、中国地方のどこかに上陸後陸行1月するという解釈であり、結論としては邪馬台国畿内説。

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