菅 政友(すが まさとも)は文政7年(1824年)生まれ、水戸藩士。彰考館員となり、豊田天功、藤田東湖に学び国史に通じた。明治維新後、
石上神宮宮司となる。1897年没。
本居宣長が邪馬台国を筑紫としたことを批判、邪馬台国を薩摩大隅と比定した。「漢籍倭人考」は、明治25年(1892)年2月から11月にかけて7回(未掲載月もあり)まで『史学会雑誌』(後に『史学雑誌』と改称)に掲載され、未完。
なお、「漢籍倭人考」は
こちらに収録されているという。
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