邪馬台国発見! ~魏志倭人伝完全解読~
・刊行:2014/9/3
・著者:樫田羽衣
・出版:Kindle

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邪馬台国は一体どこにあったのでしょうか。そして卑弥呼の墓はどこにあるのでしょうか。私は、畿内説や九州説といった呪縛的な定説から離れ、独自に魏志倭人伝の解読を試みました。

歴史学や考古学・日本神話といった要素を一切考慮せず、魏志倭人伝の記述だけをたどっていくとどこに辿りつくのか、そしてその場所が邪馬台国であったとするならば、魏志倭人伝の他の記述はどうなるのか。

徹底的に検証した結果、この場所が邪馬台国だったと確実に言える場所を発見するに至りました。魏志倭人伝の記述の一致点の多さが、この説の正しさを証明しています。あなたは、この新説に異論を唱えることができるでしょうか。

★対馬国・一支国の場所は正しかったのか。
★末盧国はどこだったのか。
そもそも魏使節が本当に着岸した末盧国はどこだったのか。
★末盧国以降の方角の矛盾の正体は何だったのか。
なぜ東南と表記されていたのか、その理由は人々の認識にあった!?
★伊都国・奴国はどこだったのか。
これまでの定説は正しかったのか。
★不弥国はどこだったのか。
奴国から東へ百里は何を意味していたのか。
★水行と陸行の日数は何を意味していたのか。
日数から読み解く筑後川南下コースの矛盾。
★投馬国はどこだったのか。
魏志倭人伝上最大の謎、投馬国の場所を推測する。
★邪馬台国はどこだったのか。
帯方郡から萬二千里の意味とは。
そしてそこが邪馬台国だとしたら、魏志倭人伝の他の記述はどうなるのか。
★狗奴国はどこだったのか。
★周辺国二十一か国(斯馬国~奴国)はどこだったのか。
円を描くように配置される周辺の国々。
★侏儒国・黒歯国と裸国はどこだったのか。
伝説の国ではなく、実在した国だった!?

表紙から考えて、大分県の亀塚古墳(通説では5世紀初めの築造で邪馬台国の時代とはずれる)であり、おそらく、邪馬台国九州説、邪馬台国の所在地を大分県大分市、大分湾岸あたりに比定していると思われる。

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