・所在地:奈良県高市郡明日香村飛鳥178

・時 期:7世紀中葉
・時 代:飛鳥時代
・形 状:-
・特 徴:-
・指 定:-

【概要】
日本書紀において、「法興寺槻樹下」「飛鳥寺西槻下」としてたびたび登場する場所。

大化改新(645年)の前年、その立役者となる、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足が蹴鞠を通じて出会った「槻の木の広場」ともされる。

壬申の乱において、大友皇子が軍営を構え、大海人皇子(のちの天武天皇)の軍がこれを奪ったとある。

天武・持統朝には飛鳥寺の西で都にやってきた南九州の隼人や東北の蝦夷をもてなす宴会が開かれとある。

現在までに断続的に調査が進められており、特に「槻の木の広場(槻樹の広場)」の解明に向けて発掘が行われており、飛鳥時代後半代を中心とした遺構や、飛鳥時代の石敷や砂利敷などが確認できている。

2015年2月、2棟の建物跡が発見され、話題となった。

【関連サイト】
飛鳥寺西方遺跡(2013年2月) - 明日香村教育委員会
飛鳥寺西方遺跡(2013年2月) - 明日香村教育委員会
飛鳥寺西方遺跡(2011年11月) - 明日香村教育委員会