奈良県奈良市の奈良文化財研究所と国土交通省国営飛鳥歴史公園事務所は2015年2月6日、復元整備を検討している平城宮跡(国特別史跡)の第一次大極殿院の設計案を発表しました。奈良時代前半(715-740年)の大極殿院の南門は上下2層の屋根を備えた二重門だったと判断、高さ約18メートルと推測。南門の両側の東西の楼は2階建てで、今後の復元は同設計案に基づいて行うとしています。読売新聞が報じています。画像は平成23年7月時点の復元案(出典:国土交通首近畿地方整備局国営飛鳥歴史公園事務所)。
和銅3年(710)、奈良盆地の北端に造られた平城京が新しい都と定められ、元明天皇が律令制にもとづいた政治を行う中心地として、藤原京から都を移しました。平城京です。
平城京・朱雀大路の北端にたつ朱雀門をくぐると、周囲を大垣で囲まれたほぼ1キロ四方のエリアが平城宮。そこには、朱雀門をはじめ12の門がありました。平城宮内部は、政治や国家儀式の場である大極殿・朝堂院、天皇の住まいである内裏、役所の日常的業務をおこなう曹司、宴会をおこなう庭園などいくつかの区画がありました。
そのなかで政治・儀式の場は、奈良時代の前半(第一次大極殿)と後半(第二次大極殿)で大きな変化がありましたが、今回の対象はその第一次大極殿です(参考(PDF))。
今回、二重門と発表された南門は入母屋造で、推計として高さ約18メートル、横幅約21.1メートル、奥行き約8.8メートル。同大極殿院を囲んでいた築地回廊の高さは約6.9メートルと確認できたとしています。
同研究所は新設計案を反映した国土交通省製作の200分の1サイズ模型(縦約1.9メートル、横約1.3メートル)を初めて公開。今春に平城宮跡内で開館する復元作業の資料館で展示し、一般公開すると言います。
復元作業に関する基礎資料はこちらに歴年の各種詳細なPDFレポートが掲載されています。
その他、関連情報としては「平城宮跡資料館」にも詳しく掲載されています。
和銅3年(710)、奈良盆地の北端に造られた平城京が新しい都と定められ、元明天皇が律令制にもとづいた政治を行う中心地として、藤原京から都を移しました。平城京です。
平城京・朱雀大路の北端にたつ朱雀門をくぐると、周囲を大垣で囲まれたほぼ1キロ四方のエリアが平城宮。そこには、朱雀門をはじめ12の門がありました。平城宮内部は、政治や国家儀式の場である大極殿・朝堂院、天皇の住まいである内裏、役所の日常的業務をおこなう曹司、宴会をおこなう庭園などいくつかの区画がありました。
そのなかで政治・儀式の場は、奈良時代の前半(第一次大極殿)と後半(第二次大極殿)で大きな変化がありましたが、今回の対象はその第一次大極殿です(参考(PDF))。
今回、二重門と発表された南門は入母屋造で、推計として高さ約18メートル、横幅約21.1メートル、奥行き約8.8メートル。同大極殿院を囲んでいた築地回廊の高さは約6.9メートルと確認できたとしています。
同研究所は新設計案を反映した国土交通省製作の200分の1サイズ模型(縦約1.9メートル、横約1.3メートル)を初めて公開。今春に平城宮跡内で開館する復元作業の資料館で展示し、一般公開すると言います。
復元作業に関する基礎資料はこちらに歴年の各種詳細なPDFレポートが掲載されています。
その他、関連情報としては「平城宮跡資料館」にも詳しく掲載されています。
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