・所在地:大分県大分市本神崎字浄願寺
・経緯度:北緯33度23分87.78秒 東経131度80分17.22秒

・時 期:5世紀頃
・時 代:古墳時代中期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:国の史跡

【概要】
旧佐賀関町。5世紀ごろ、古墳時代中期の前方後円墳である。国の史跡。

佐賀関半島の北西海岸部、丘陵端部に位置。畿内型古墳としては九州最古級となる猫塚古墳(碧玉製鍬形石、後漢鏡片、鉄剣、鉄戈などを出土した)の東南約1キロメートルのところにある。後円部の一部が北側の村社八幡神社の境内になっている。

全長90メートル(前方部50メートル、後円部径40メートル)、高さ前方部8メートル・ 後円部10メートル、前方部幅45メートルで、葺き石が葺かれている。

大分県では亀塚古墳に次ぐ大きさ。また、本古墳と亀塚古墳は数キロ離れているものの、向きが平行になるように築造されていることが注目されている。

総量34キログラムという大量の朱が使われているなど、当時としては最高級の豪華葬であったことが判明し、水軍をもつ海人部(海部郡)の歴史を解き明かす上で重要な遺跡と位置づけられる。

盗掘を免れ、鉄剣・鏡・管玉という「三種の神器」が発見される。ただし、墳丘は周辺住民によって前方部と後円部を裁断する様に道路が造成、住宅建設で前方部が削られていたため、発見時には前方後円墳の形を成していなかった。

1932年(昭和7年)、植林作業の際に後円部から2基の緑泥片岩製箱式石棺が発見され、その後の調査で「北棺」(長さ1.8メートル、幅0.65メートル、深さ0.73メートル)と呼ばれる石棺からは右腕に貝釧をつけた1体の女性、「南棺」(長さ1.95メートル、幅0.75メートル、深さ0.8メートル)からは3体の人骨(うち一体は女性)が発見された。

女性のみが単独で埋葬されている点などから呪術者であった女性の墓ではないかと推測される。ただし、地元で祀られている「速吸日女」の墓ではないかとする説や、邪馬台国論争においては卑弥呼の墓ではないかとする説も語られることがある。

なお、同名の古墳は全国に分布しており、主なところでも福岡県糸島市奈良県大和高田市、岡山県瀬戸内市などにもある。

【関連サイト】
築山古墳_(大分市) - Wikipedia