・所在地:大分県大分市大里
・経緯度:北緯33度23分47.22秒 東経131度73分95.83秒

・時 期:5世紀初め
・時 代:古墳時代中期中盤
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:国の史跡

【概要】
大分県では最大の前方後円墳で、5世紀初めの築造とされる。近年の住宅地開発などで周辺の古墳調査が進み、一帯は「亀塚古墳群」として認知されつつある。

墳丘は前方部を南に向けた3段構築で、全長116メートル(前方部長52メートル、後円部直径64メートル)、高さは前方部7メートル・後円部10メートルで、西側のくびれ部に造出しがある。墳丘は白い石英質の葺石で覆われていた。

埋葬施設は前方部墳頂に2つ設けられており、第1の埋葬部には長さ3.2メートルにもおよぶ大形の箱型の組合せ式石棺が埋められており、第2の埋葬部はその東側に後から設けられた。

すでに盗掘を受けていたが、短甲・鉄刀の破片、滑石製の勾玉、碧玉製の管玉、ガラス製の小玉などが出土した。

古くから海部王(あまべのきみ)の墓であると伝えられており、日本書紀にもこの地に「海人部」が設置されていた記録があることから、海部民(あまべのたみ)の首長が埋葬されていたと考えられる。

「亀塚古墳公園」として整備され、海部古墳資料館が建設され、併設されている。

周囲には同古墳群を構成する小亀塚古墳があり、数キロ離れているものの、向きが平行になるように作られた築山古墳がある。

同名の古墳は全国至る所で見られ、主なところでも大阪府堺市(消滅)、茨城県壬生町、滋賀県野洲市などがある。

【関連サイト】
亀塚古墳 -Wikipedia