・所在地:大阪府和泉市上代町
・経緯度:北緯34度51分41.67秒 東経135度45分58.33秒

・時 期:4世紀後半
・時 代:古墳時代前期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:国の史跡

【概要】
いずみこがねづかこふん。4世紀後半頃、古墳時代前期末築造と考えられる前方後円墳。国の史跡。

信太山丘陵先端に位置する二段築成と推定される墳丘をもつ。全長約94メートル、後円部径約60メートル・高さ約9メートル、前方部は推定幅約42メートル、高さ約6.5メートル。後円部の粘土槨に木製棺の埋葬施設が3つ平行に並んでいた。

中央槨の棺外から出土した画文帯四神四獣鏡には、景初三年(239年)の銘があり、魏志倭人伝における邪馬台国の卑弥呼が魏の皇帝から銅鏡百枚を賜ったとの記述との関連性が指摘されている。なお、景初三年の銘がある銅鏡は、神原神社古墳(島根県・雲南市)からも出土している。

なお、景初三年の翌年と思われるが、実際に存在していない景初四年の銘がある銅鏡は、広峯15号墳(広島県・福知山市)と持田古墳群(宮崎県・児湯郡、伝承)から出土している。

本古墳については、太平洋戦争終結直後の1945年11月に、当時17歳の少年だった森浩一(のちの同志社大学文学部教授)が同古墳の荒廃に気付いたのをきっかけとして末永雅雄とともに応急調査したのが最初。

1950年から1951年にかけて、大阪府教育委員会と日本考古学協会による合同調査が実施され、上述の画文帯四神四獣鏡の他、水晶製大型切子玉(日本最大のもの)などが出土。出土品は一括して国の重要文化財に指定された。

2001年から2005年にかけて、和泉市教育委員会により調査が行われ、前方部墳裾に円筒埴輪列が出土したことから古墳の規模が確認された。また、東のくびれ部から、形象埴輪が多く出土した。

【関連サイト】
和泉黄金塚古墳 - Wikipedia