・所在地:兵庫県豊岡市森尾761
・経緯度:北緯35度52分17.50秒 東経134度86分68.33秒
・時 期:4世紀末
・時 代:古墳時代前期~古墳時代中期
・形 状:方墳
・特 徴:-
・指 定:-
【概要】
森尾古墳跡とも。森尾古墳群を構成する。破壊は受けているが墳丘の一部が残っている。35メートル×24メートル、高さ5メートルの方墳。4世紀末ごろ、古墳時代前期~中期にかけての築造と思われる。
1977年に調査が行われ、主体部は3つ確認されている。いずれも竪穴式石室で、中国製方格規矩鏡、中国製三角縁四神四獣鏡、中国製三角縁同向式神獣鏡、鉄剣、銅鏃、鉄鏃、鉄斧、鉄鎌、勾玉、管玉、小玉などが出土。
方格規矩四神鏡は直径12.9センチの青銅製。四神や大地を表す方格がある。銘文などから、中国の王莽が統治した新(8-23年)の鏡と特定。「言之紀鏡」などの文字も見つかった。
二枚の三角縁神獣鏡も出土。うち一枚に、邪馬台国の女王・卑弥呼が魏に出した使いが帰国した240年にあたる「正始元年」との銘がある。
銘文は下記の通り。
「正治元年陳是作鏡自有経述本自▽師杜地命出寿如金石保子宜孫」(出典)
「正始元年」の銅鏡は他に、柴崎蟹沢古墳(群馬県・高崎市)や、竹島古墳(山口県・周南市)でも出土している。ちなみに同年の240年を示すと思われる、実際には存在しない年号「景初四年」の銘を持つ銅鏡が、広峯15号墳(広島県・福知山市)と持田古墳群(宮崎県・児湯郡、伝承)から出土している。
桜井茶臼山古墳(奈良県・桜井市)で出土した銅鏡の破片にある「是」とみられる文字が、柴崎蟹沢古墳から出土した銅鏡とぴったりと一致したことが確認され、桜井茶臼山古墳出土の銅鏡も「正始元年」銅鏡の可能性が高まった。
【関連サイト】
・森尾古墳
・経緯度:北緯35度52分17.50秒 東経134度86分68.33秒
・時 期:4世紀末
・時 代:古墳時代前期~古墳時代中期
・形 状:方墳
・特 徴:-
・指 定:-
【概要】
森尾古墳跡とも。森尾古墳群を構成する。破壊は受けているが墳丘の一部が残っている。35メートル×24メートル、高さ5メートルの方墳。4世紀末ごろ、古墳時代前期~中期にかけての築造と思われる。
1977年に調査が行われ、主体部は3つ確認されている。いずれも竪穴式石室で、中国製方格規矩鏡、中国製三角縁四神四獣鏡、中国製三角縁同向式神獣鏡、鉄剣、銅鏃、鉄鏃、鉄斧、鉄鎌、勾玉、管玉、小玉などが出土。
方格規矩四神鏡は直径12.9センチの青銅製。四神や大地を表す方格がある。銘文などから、中国の王莽が統治した新(8-23年)の鏡と特定。「言之紀鏡」などの文字も見つかった。
二枚の三角縁神獣鏡も出土。うち一枚に、邪馬台国の女王・卑弥呼が魏に出した使いが帰国した240年にあたる「正始元年」との銘がある。
銘文は下記の通り。
「正治元年陳是作鏡自有経述本自▽師杜地命出寿如金石保子宜孫」(出典)
「正始元年」の銅鏡は他に、柴崎蟹沢古墳(群馬県・高崎市)や、竹島古墳(山口県・周南市)でも出土している。ちなみに同年の240年を示すと思われる、実際には存在しない年号「景初四年」の銘を持つ銅鏡が、広峯15号墳(広島県・福知山市)と持田古墳群(宮崎県・児湯郡、伝承)から出土している。
桜井茶臼山古墳(奈良県・桜井市)で出土した銅鏡の破片にある「是」とみられる文字が、柴崎蟹沢古墳から出土した銅鏡とぴったりと一致したことが確認され、桜井茶臼山古墳出土の銅鏡も「正始元年」銅鏡の可能性が高まった。
【関連サイト】
・森尾古墳
コメント
コメント一覧 (1)
「正治元年陳是作鏡自有経述本自▽師杜地命出寿如金石保子宜孫」(出典)
とありますが、「正治」は「正始」の間違いですね。すぐ下には「正始元年」と。「正始」が正しいですね。引用元が誤記してるんでしょう。Yahoo!のサービスのようですが現在リンク切れです。