・所在地:千葉県市原市0
・時 期:5世紀中頃
・時 代:古墳時代中期中盤
・形 状:円墳
・特 徴:-
・指 定:-
【概要】
養老川下流域の北岸台地上に営まれた稲荷台古墳群を構成する。同古墳群は12基からなり、大型の前方後円墳は存在しない。
2号墳・3号墳に続いて造営された約28メートルの円墳。
対岸の養老川下流域南岸には、同時期に造営された墳丘全長103メートルを測る姉崎二子塚古墳があり、首長墓とされており、本古墳の被葬者は古墳規模と副葬品から武人だったとされる。
副葬品は5世紀中葉から後葉のもの。文字を刻んだ鉄剣(「王賜」銘鉄剣)が出土、鉄剣の銘文中の「王」が誰か諸説あるが畿内の「王」とする説が有力であり、ヤマト政権による東国の武人の直接的な支配を示す具体例として重要。
中央木棺と北木棺の二つの埋葬施設があり、二人の武人が相次いで埋葬されたとされる。
付近は既に開発されて住宅地になっているが、古墳周湟付近が記念公園として整備され、1/3規模に復元された古墳の模造が置かれている。
【関連サイト】
・稲荷台1号古墳 - Wikipedia
・時 期:5世紀中頃
・時 代:古墳時代中期中盤
・形 状:円墳
・特 徴:-
・指 定:-
【概要】
養老川下流域の北岸台地上に営まれた稲荷台古墳群を構成する。同古墳群は12基からなり、大型の前方後円墳は存在しない。
2号墳・3号墳に続いて造営された約28メートルの円墳。
対岸の養老川下流域南岸には、同時期に造営された墳丘全長103メートルを測る姉崎二子塚古墳があり、首長墓とされており、本古墳の被葬者は古墳規模と副葬品から武人だったとされる。
副葬品は5世紀中葉から後葉のもの。文字を刻んだ鉄剣(「王賜」銘鉄剣)が出土、鉄剣の銘文中の「王」が誰か諸説あるが畿内の「王」とする説が有力であり、ヤマト政権による東国の武人の直接的な支配を示す具体例として重要。
中央木棺と北木棺の二つの埋葬施設があり、二人の武人が相次いで埋葬されたとされる。
付近は既に開発されて住宅地になっているが、古墳周湟付近が記念公園として整備され、1/3規模に復元された古墳の模造が置かれている。
【関連サイト】
・稲荷台1号古墳 - Wikipedia
コメント