・所在地:福岡県うきは市吉井町若宮358-1
・経緯度:北緯33度34分48.89秒 東経130度76分57.78秒

・時 期:5世紀中頃
・時 代:古墳時代中期中盤
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:-

【概要】
日岡古墳などとともに若宮古墳群を構成する前方後円墳。墳丘長80メートル(テラスを含めれば95メートル)、周溝を含めた全長は140メートル以上と推定される。

若宮八幡宮境内にあり、前方部を西に向けている。1805年(文化2年)、後円部から竪穴式石室が発見され、多くの遺物が出土した。このときの記録が当時の若宮八幡宮宮司・安元大炊によって残されている。

副葬品は代々安元家によって保管され、「筑後国浮羽郡月岡古墳出土品」として1961年(昭和36年)に国の重要文化財に指定された。現在、吉井歴史民俗資料館に展示されている。

後円部に石室の天井石を礎石として祠が建ち(文化3年建築)、内部に長持形石棺を納めている。この石棺は事前に資料館へ申込みをすれば見学できる。1985年(昭和60年)より史跡指定に向けての発掘調査が行われ、前方部に三重の堀が巡ることが確認された。

三重の濠は全国的にも珍しく、同県久留米市の御塚古墳、千葉県山武市の大堤権現塚古墳、埼玉県行田市の鉄砲山古墳など数例しかない。

現在まで伝えられているものは、金銅装眉庇付鉄冑1、眉庇付鉄冑7、金銅装臑当1対、金銅製胡籙金具、金銅製鞍金具、金銅製帯金具、頸甲片、短甲片、木心鉄板張輪鐙3、三角縁二神二獣鏡1、獣形鏡2、珠文鏡1、鉄剣、鉄鏃135以上、滑石製臼玉33、切妻型家形埴輪1。

墳形・石棺・副葬品の内容は畿内的な色彩が強く、また旧浮羽郡の旧名が生葉郡(いくはのこおり)であることから、的臣(いくはのおみ)との関連を指摘する声もある。

【関連サイト】
月岡古墳 - Wikipedia