・所在地:茨城県ひたちなか市中根字指渋
・経緯度:北緯36度37分35.28秒 東経140度56分96.39秒
・時 期:7世紀中頃
・時 代:古墳時代終末期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:装飾古墳、
・指 定:国の史跡
【概要】
7世紀前半頃の築造と推定される、茨城県最後の前方後円墳。虎塚古墳群、笠谷古墳群が形成されている標高20メートルほどの台地上の山林に位置している。この周辺には県指定史跡の十五郎横穴群も所在する。
全長56.5メートル、後円部直径32.5メートル、後円部高さ7.5メートル、前方部幅38.5メートル、前方部高さ7.2メートル。前方部と後円部の高さはほぼ同じ。周濠をもつ。
1973年(昭和48年)9月12日に明治大学教授の大塚初重による発掘調査が実施され、横穴式石室内部に装飾壁画が発見された。1974年(昭和49年)には、国の史跡にも指定されている。
石室内部からは、成人男子の遺骸が1体と漆塗小大刀(うるしぬりこたち)、毛抜形鉄製品、槍鉋(やりがんな)、鉄鏃、鉄板などの副葬品が出土。
また、この古墳は後円部南側に両袖形の横穴式石室で、未開口であることが確認された。玄室の長さは2.8メートル、幅1.8メートル、高さ1.4メートル、奥壁に一枚、東壁に一枚、西壁に2枚、天井に3枚の凝灰岩の切石で構築し、床石は7枚の板石を敷いている。
羨道は長さ1.3メートル、幅1.2メートルで天井石が一枚載り、幅約1メートルの墓道が羨道部から墳丘外側に向かって造られている。床面には凝灰岩片が敷き詰められている。
石室内の発掘調査に先立って科学調査(温度や湿度、微生物など)を日本で初めて実施した学史的意義のある古墳でもあり、観覧室はこの調査に基づいて設計されている。
装飾には赤色のベンガラ(第二酸化鉄)が使用されている。玄門には、凝灰岩に連続三角文が描かれている。
また、玄室には、前面に白色粘土を下塗した上に、壁上部には連続三角文が描かれ、その下には三角文・円文・環状文・渦文などの幾何学文様と大刀や靭(ゆき)・鞆(とも)などの武器・武具、装飾品などの文様が描かれている。
この装飾壁画は、保存状態も良く、東日本を代表するものである。
虎塚古墳は壁画の状態を保つため、内部の一般公開は春と秋の年2回に限られている。予約は必要ないが、見学料が必要。
【関連サイト】
・虎塚古墳 - Wikipedia
【関連サイト】
・鴨志田篤二『虎塚古墳―関東の彩色壁画古墳 (日本の遺跡)』 - 茨城県・ひたちなか市
・経緯度:北緯36度37分35.28秒 東経140度56分96.39秒
・時 期:7世紀中頃
・時 代:古墳時代終末期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:装飾古墳、
・指 定:国の史跡
【概要】
7世紀前半頃の築造と推定される、茨城県最後の前方後円墳。虎塚古墳群、笠谷古墳群が形成されている標高20メートルほどの台地上の山林に位置している。この周辺には県指定史跡の十五郎横穴群も所在する。
全長56.5メートル、後円部直径32.5メートル、後円部高さ7.5メートル、前方部幅38.5メートル、前方部高さ7.2メートル。前方部と後円部の高さはほぼ同じ。周濠をもつ。
1973年(昭和48年)9月12日に明治大学教授の大塚初重による発掘調査が実施され、横穴式石室内部に装飾壁画が発見された。1974年(昭和49年)には、国の史跡にも指定されている。
石室内部からは、成人男子の遺骸が1体と漆塗小大刀(うるしぬりこたち)、毛抜形鉄製品、槍鉋(やりがんな)、鉄鏃、鉄板などの副葬品が出土。
また、この古墳は後円部南側に両袖形の横穴式石室で、未開口であることが確認された。玄室の長さは2.8メートル、幅1.8メートル、高さ1.4メートル、奥壁に一枚、東壁に一枚、西壁に2枚、天井に3枚の凝灰岩の切石で構築し、床石は7枚の板石を敷いている。
羨道は長さ1.3メートル、幅1.2メートルで天井石が一枚載り、幅約1メートルの墓道が羨道部から墳丘外側に向かって造られている。床面には凝灰岩片が敷き詰められている。
石室内の発掘調査に先立って科学調査(温度や湿度、微生物など)を日本で初めて実施した学史的意義のある古墳でもあり、観覧室はこの調査に基づいて設計されている。
装飾には赤色のベンガラ(第二酸化鉄)が使用されている。玄門には、凝灰岩に連続三角文が描かれている。
また、玄室には、前面に白色粘土を下塗した上に、壁上部には連続三角文が描かれ、その下には三角文・円文・環状文・渦文などの幾何学文様と大刀や靭(ゆき)・鞆(とも)などの武器・武具、装飾品などの文様が描かれている。
この装飾壁画は、保存状態も良く、東日本を代表するものである。
虎塚古墳は壁画の状態を保つため、内部の一般公開は春と秋の年2回に限られている。予約は必要ないが、見学料が必要。
【関連サイト】
・虎塚古墳 - Wikipedia
【関連サイト】
・鴨志田篤二『虎塚古墳―関東の彩色壁画古墳 (日本の遺跡)』 - 茨城県・ひたちなか市
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