考古学と古代史の間 (ちくまプリマーブックス)
・刊行:2004/2
・著者:白石太一郎
・出版:筑摩書房

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三世紀後半、まず西日本各地に前方後円墳をはじめとする古墳が出現する。

古代東アジア世界のなかでも他に例を見ないほど、数多くの巨大な古墳が列島の各地で造られたのはなぜか。

その造営停止は何を語るのか。

遺跡・遺物を資料とする考古学と、文献史料を資料とする古代史研究。二つの学問の協業ではじめてわかる、日本の古代国家形成の謎。

序章 考古学と古代史の間をさまよう
第1章 『魏志』倭人伝と考古学
第2章 ヤマト政権の成立
第3章 記・紀の王統譜は信じられるか
第4章 稲荷山鉄剣江田船山大刀
終章 倭国の文明化と古代国家の形成

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管理人了
考古学でも、完全に「古墳」が中心。それはそれで一読の価値がある。平易な文章による分かりやすい解説。古墳に関するエッセイとしては読みごたえがあるかも。

「私は「邪馬台国がどこにあるのか」という設問でこの問題を考えたことはありません。(中略)ただ考古学的な方法によって日本列島における広域の政治連合の形成過程を追及する中で、『魏志』倭人伝にいう邪馬台国が近畿の大和にほかならないと考えざるをえな」いとする。

邪馬台国畿内説。

箸墓古墳(奈良県・桜井市)の被葬者は卑弥呼、「それにつぐ時期の西殿塚古墳は、卑弥呼の後継者である壱与の墓である可能性がきわめて高い」と指摘。

ただし、魏志倭人伝には邪馬台国は7万戸と読める個所がある以外、邪馬台国が当時の日本で主流だった、最強だった、元祖だったなどなどは書かれておらず、邪馬台国が当時の日本の中心だったという前提に立ったような、「広域の政治連合の形成過程を追及する中」だけでの断定は早いのではないか、とは思う。
奈良盆地東南部の大型古墳の分布(北半分) - 白石太一郎『考古学と古代史の間』P93