神世七代と、天津神系の海神も、諏訪系の御柱祭り 信濃国三宮の古社
[住所]長野県松本市島立三ノ宮3316
[電話]0263-47-2049
沙田神社(いさごだじんじゃ)は、長野県松本市にある神社。松本電鉄上高地線の大庭駅の南約1キロ。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 筑摩郡「沙田神社」に比定される式内社(小社)。信濃国三宮。近代社格では県社。
御祭神は彦火火見尊(ひこほほでみのみこと)、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、沙土煮命(すいじにのみこと)。
穂高神社(安曇野市)の海神系・天津神(山幸彦とトヨタマは初代神武天皇の祖父母)系と見られているが、当社では御柱を建てる諏訪大社系の祭祀(式年御柱祭 (6年に1度、卯年と酉年))も行われている。
御祭神を第12代景行天皇皇子の五十狭城入彦命(いさきいりひこのみこ、古事記に記載なし)と伝える説もある。
沙土煮命はウヒヂニ・スヒヂニの両神とされる。日本で初めての性別を持つ男神と女神(おそらく兄妹)で、イザナギとイザナミに先行する神世七代の三代目。
社伝によると、古くは筑摩郡鷺沢嶽(現在の松本市波田鷺沢)に鎮座していたという。大化5年(649年)6月28日、信濃国司が勅命を奉じ初めて勧請して創祀した。
その後、大同年間(806年-810年)に坂上田村麻呂が有明山の妖賊討伐にあたって、本社の神力が効したとして国司と共に社殿を造営したと伝える。
鷺沢の旧跡地と伝わる地には当社の奥社が立っている。平安時代末期には木曾義仲一党の崇敬を受け、現在は群馬県渋川市に木曾三社神社がある。
なお、穂高神社も信濃国三宮。
【ご利益】
当社を諏訪社系と見る向きが多く、そうなれば、信濃開拓の神
【関連記事】
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『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 筑摩郡「沙田神社」に比定される式内社(小社)。信濃国三宮。近代社格では県社。
御祭神は彦火火見尊(ひこほほでみのみこと)、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、沙土煮命(すいじにのみこと)。
穂高神社(安曇野市)の海神系・天津神(山幸彦とトヨタマは初代神武天皇の祖父母)系と見られているが、当社では御柱を建てる諏訪大社系の祭祀(式年御柱祭 (6年に1度、卯年と酉年))も行われている。
御祭神を第12代景行天皇皇子の五十狭城入彦命(いさきいりひこのみこ、古事記に記載なし)と伝える説もある。
沙土煮命はウヒヂニ・スヒヂニの両神とされる。日本で初めての性別を持つ男神と女神(おそらく兄妹)で、イザナギとイザナミに先行する神世七代の三代目。
社伝によると、古くは筑摩郡鷺沢嶽(現在の松本市波田鷺沢)に鎮座していたという。大化5年(649年)6月28日、信濃国司が勅命を奉じ初めて勧請して創祀した。
その後、大同年間(806年-810年)に坂上田村麻呂が有明山の妖賊討伐にあたって、本社の神力が効したとして国司と共に社殿を造営したと伝える。
鷺沢の旧跡地と伝わる地には当社の奥社が立っている。平安時代末期には木曾義仲一党の崇敬を受け、現在は群馬県渋川市に木曾三社神社がある。
なお、穂高神社も信濃国三宮。
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当社を諏訪社系と見る向きが多く、そうなれば、信濃開拓の神
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