諏訪大社の御柱祭の翌年に行われる御柱祭で有名な、信濃国二宮
[住所]長野県塩尻市北小野175-1
[電話]0266-46-3693
小野神社(おのじんじゃ)は、長野県塩尻市にある神社。国史・神名帳等の文献には当社に関する記載はない。信濃国二宮。近代社格では県社。参拝すれば、「信濃国二之宮」などとある御朱印を頂ける。
上伊那郡辰野町の矢彦神社と同じ社叢に隣接しており、かつては一つの神社であったと伝えられる。現在は小野神社・矢彦神社と呼ばれることがある。
創建年代は不詳。伝承では、建御名方命が諏訪に入ろうとしたところ、諏訪には洩矢神(もりやしん、もれやしん)がいて入れなかったため、この小野の地にしばらく留まったという。
また矢彦神社社伝では、大己貴命が国作りに勤しんでいた折、御子の事代主命・建御名方命を従えてこの地に立ち寄ったという。
御祭神は建御名方命。
洩矢神の伝承は諏訪及びその一帯に根強いが、『古事記』によれば、タケミナカタは国譲りを迫るタケミカヅチに追われて諏訪に入った形であり、古事記の文脈ではタケミナカタ VS 洩矢神の時間的余裕は見当たらない。
諏訪一帯はタケミナカタはもちろん、父であるオオクニヌシ、異母兄であるコトシロヌシも多く祀られており、矢彦神社の伝承を間接的に裏付けている。
諏訪大社の御柱祭(寅年と申年)の翌年に、矢彦神社とともに合同で式年御柱大祭(6年に1度、卯年と酉年の5月)を行う。社伝によると、坂上田村麻呂の戦勝祈願が叶ったので、桓武天皇の勅により御柱を建てるようになったことに始まるという。
古くから「人を見るなら諏訪御柱、綺羅を見るなら小野御柱」と称される。
【ご利益】
信濃開拓の神、つまり総合的なご神徳。一説に、諏訪大社よりも創建が古いとも
【関連記事】
・神社の創建年代 - 神代から、神武・神功・継体、そして昭和期まで、主な神社を順に並べた
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[電話]0266-46-3693
小野神社(おのじんじゃ)は、長野県塩尻市にある神社。国史・神名帳等の文献には当社に関する記載はない。信濃国二宮。近代社格では県社。参拝すれば、「信濃国二之宮」などとある御朱印を頂ける。
上伊那郡辰野町の矢彦神社と同じ社叢に隣接しており、かつては一つの神社であったと伝えられる。現在は小野神社・矢彦神社と呼ばれることがある。
創建年代は不詳。伝承では、建御名方命が諏訪に入ろうとしたところ、諏訪には洩矢神(もりやしん、もれやしん)がいて入れなかったため、この小野の地にしばらく留まったという。
また矢彦神社社伝では、大己貴命が国作りに勤しんでいた折、御子の事代主命・建御名方命を従えてこの地に立ち寄ったという。
御祭神は建御名方命。
洩矢神の伝承は諏訪及びその一帯に根強いが、『古事記』によれば、タケミナカタは国譲りを迫るタケミカヅチに追われて諏訪に入った形であり、古事記の文脈ではタケミナカタ VS 洩矢神の時間的余裕は見当たらない。
諏訪一帯はタケミナカタはもちろん、父であるオオクニヌシ、異母兄であるコトシロヌシも多く祀られており、矢彦神社の伝承を間接的に裏付けている。
諏訪大社の御柱祭(寅年と申年)の翌年に、矢彦神社とともに合同で式年御柱大祭(6年に1度、卯年と酉年の5月)を行う。社伝によると、坂上田村麻呂の戦勝祈願が叶ったので、桓武天皇の勅により御柱を建てるようになったことに始まるという。
古くから「人を見るなら諏訪御柱、綺羅を見るなら小野御柱」と称される。
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