・所在地:福岡県福岡市早良区西新6-1-10
・時 期:~3世紀
・時 代:縄文時代晩期~弥生時代
・形 状:集落
・特 徴:-
・指 定:-
【概要】
西新町・藤崎遺跡とも。縄文晩期から弥生時代にかけての遺跡。
古くから弥生土器や三角縁神獣鏡などの発見があって学史的に貴重とされてきたが、昭和50年代以降に県立修猷館高校の建て替え工事などを契機に発掘調査が進み、弥生時代から古墳時代前期を中心とする集落や墳墓の全容が明らかになってきた。
西新町・藤崎遺跡群は農耕不適地に立地しており、出土遺物などからも、漁村的な遺跡だと考えられる。また、中国や朝鮮半島など遠隔地からもたらされた遺物も多く出土することから、漁撈とともに海を介した対外交易などをも担った集団が暮らしたと考えられる。
明治45(1912)年、土砂採取中に石棺が発見され、人骨にともなって三角縁盤龍鏡(さんかくぶちばんりゅうきょう)と環頭大刀(かんとうたち)が出土。近くでも大正6(1917)年に箱式石棺が発見され、方格規矩渦文鏡(ほうかくきくかもんきょう)が出土。
同所では昭和5(1930)年の地下げ工事中に甕棺や石棺が多数みつかっており、甕棺に副葬されていたという弥生時代前期の壺が出土。こちらの周辺も後年の調査で、弥生時代から古墳時代の墳墓群が分布することが明らかになった。
「西新式」土器と呼ばれる弥生時代終わり頃の標識資料も出土。
魏志倭人伝にある奴国の中心地に近く、関係が指摘されている。
【関連サイト】
・博物館もよりの砂丘遺跡-西新町・藤崎遺跡- - 福岡市博物館
・時 期:~3世紀
・時 代:縄文時代晩期~弥生時代
・形 状:集落
・特 徴:-
・指 定:-
【概要】
西新町・藤崎遺跡とも。縄文晩期から弥生時代にかけての遺跡。
古くから弥生土器や三角縁神獣鏡などの発見があって学史的に貴重とされてきたが、昭和50年代以降に県立修猷館高校の建て替え工事などを契機に発掘調査が進み、弥生時代から古墳時代前期を中心とする集落や墳墓の全容が明らかになってきた。
西新町・藤崎遺跡群は農耕不適地に立地しており、出土遺物などからも、漁村的な遺跡だと考えられる。また、中国や朝鮮半島など遠隔地からもたらされた遺物も多く出土することから、漁撈とともに海を介した対外交易などをも担った集団が暮らしたと考えられる。
明治45(1912)年、土砂採取中に石棺が発見され、人骨にともなって三角縁盤龍鏡(さんかくぶちばんりゅうきょう)と環頭大刀(かんとうたち)が出土。近くでも大正6(1917)年に箱式石棺が発見され、方格規矩渦文鏡(ほうかくきくかもんきょう)が出土。
同所では昭和5(1930)年の地下げ工事中に甕棺や石棺が多数みつかっており、甕棺に副葬されていたという弥生時代前期の壺が出土。こちらの周辺も後年の調査で、弥生時代から古墳時代の墳墓群が分布することが明らかになった。
「西新式」土器と呼ばれる弥生時代終わり頃の標識資料も出土。
魏志倭人伝にある奴国の中心地に近く、関係が指摘されている。
【関連サイト】
・博物館もよりの砂丘遺跡-西新町・藤崎遺跡- - 福岡市博物館


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