古事記にもどのように理解すればよいのか分からない説話というのはあるもので、このイザサワケの説話もそのうちの一つに含まれるでしょう。ただ、現在に至るまで変わらぬ厚い尊崇を受ける氣比神宮(福井県・敦賀市)が古事記の説話通りに存在していることは間違いなく、社伝によれば、当然それ以前からの祭祀ということもあって、古事記と北陸新幹線(北陸)を語る上では欠かすことのできない社であり、そして説話でもあります。
写真は、「日本三大鳥居」の1つに数えられる氣比神宮の大鳥居(重要文化財)(出典:Wikipedia)
まずは説話の内容を見てみましょう。
三韓征伐を終え、御子を生み、九州地方から畿内に戻ってきた神功皇后とその御子(後の第十五代応神天皇)、建内宿禰らは、畿内にて反旗を翻していた反逆軍を殲滅、その後建内宿禰は御子を率いて、禊をしようと角鹿まで来ます。
建内宿禰の夢枕に現れるのが、イザサワケです。「御子と名の交換をしたい」と。建内宿禰、恐れ畏み「意のままに」。イザサワケ、「翌朝、浜に来なさい」。その通り、建内宿禰と御子が浜に行ってみると、鼻がつぶれたイルカが大量に打ち上げられていました。
御子は「食料としての魚を与えて頂いた」と喜び、この神を御食津大神と命名しました。現在の氣比大神。イルカの鼻がつぶれて地が流れ、においが漂っていたため、その地を血浦と名付けられ、現在の角鹿となりました。現在の敦賀です。
すでに多くの方が指摘されていることですが、おかしなところを思いつくまま挙げてみましょう。
1.神とのやり取り含め皇族だが臣下の建内宿禰が主導権を握っている
2.神功皇后が、建内宿禰に溺愛していた御子を預け、自分は角鹿には行かなかった
3.名前の交換なので、御子のもとの名がイザサワケだったはず
4.同じく、イザサワケの元の名は御子の名であるホムダワケだったはず
5.にもかかわらず、3と4が行われたような形式がない
6.御子は、名前を交換していただいた神に、さらに追加で命名している
難しい考証を省いて考えると、これは「名の交換」に仮借した一種の儀式だったのではないか、と思われます。
イザサワケは本当はこの時すでに崩御していた第十四代仲哀天皇の御霊であり、御子は自分の子ではないことを知っていたものの、この一連の流れで、御子に皇位継承の資格を与えた、それを本当の御子の父である建内宿禰に承認させ、証人とさせた、以上のような儀式だったために、母たる神功皇后の出席は認められなかった、以上のように考えると、前後の事情が流れていくのですが。
ともかく、この時代から、今何かと騒がしいイルカ漁のことがはっきりと記載されている点、日本の歴史や伝統の奥深さと言えそうです。
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・応神天皇と建内宿禰、そしてイザサワケ、氣比神宮は古事記が出典!
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写真は、「日本三大鳥居」の1つに数えられる氣比神宮の大鳥居(重要文化財)(出典:Wikipedia)
まずは説話の内容を見てみましょう。
三韓征伐を終え、御子を生み、九州地方から畿内に戻ってきた神功皇后とその御子(後の第十五代応神天皇)、建内宿禰らは、畿内にて反旗を翻していた反逆軍を殲滅、その後建内宿禰は御子を率いて、禊をしようと角鹿まで来ます。
建内宿禰の夢枕に現れるのが、イザサワケです。「御子と名の交換をしたい」と。建内宿禰、恐れ畏み「意のままに」。イザサワケ、「翌朝、浜に来なさい」。その通り、建内宿禰と御子が浜に行ってみると、鼻がつぶれたイルカが大量に打ち上げられていました。
御子は「食料としての魚を与えて頂いた」と喜び、この神を御食津大神と命名しました。現在の氣比大神。イルカの鼻がつぶれて地が流れ、においが漂っていたため、その地を血浦と名付けられ、現在の角鹿となりました。現在の敦賀です。
すでに多くの方が指摘されていることですが、おかしなところを思いつくまま挙げてみましょう。
1.神とのやり取り含め皇族だが臣下の建内宿禰が主導権を握っている
2.神功皇后が、建内宿禰に溺愛していた御子を預け、自分は角鹿には行かなかった
3.名前の交換なので、御子のもとの名がイザサワケだったはず
4.同じく、イザサワケの元の名は御子の名であるホムダワケだったはず
5.にもかかわらず、3と4が行われたような形式がない
6.御子は、名前を交換していただいた神に、さらに追加で命名している
難しい考証を省いて考えると、これは「名の交換」に仮借した一種の儀式だったのではないか、と思われます。
イザサワケは本当はこの時すでに崩御していた第十四代仲哀天皇の御霊であり、御子は自分の子ではないことを知っていたものの、この一連の流れで、御子に皇位継承の資格を与えた、それを本当の御子の父である建内宿禰に承認させ、証人とさせた、以上のような儀式だったために、母たる神功皇后の出席は認められなかった、以上のように考えると、前後の事情が流れていくのですが。
ともかく、この時代から、今何かと騒がしいイルカ漁のことがはっきりと記載されている点、日本の歴史や伝統の奥深さと言えそうです。
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