くりから古戦場県定公園 - 小矢部市
古事記において、第七代孝霊天皇は、それまでの歴代天皇が、皇后とその子らのみを記載しているのと比べ、急に妃の記載が始まり、したがって、多くの子に恵まれた(ようにみえる?)天皇と言えます。次代の第八代孝元天皇は皇后との子ですが、妃の一人との間に、古代日本史極めて有名な二人が誕生しています。

皇女ヤマトトモモソヒメと、皇子オオキビツヒコです。前者は箸墓古墳(奈良県・桜井市)の被葬者に比定され、一説には邪馬台国の卑弥呼ともされる方。後者は、吉備の国を平定し、今も吉備の国に鎮座される、桃太郎のモデルとも言われる方。

今回の主役は、この超有名な姉弟の間に挟まった、ヤマトトモモソヒメの弟、オオキビツヒコの兄にあたる、孝霊天皇皇子ヒコサシカタワケです。

画像は、富山県小矢部市の観光パンフレットの一部、ヒコサシカタワケの子孫が木曽義仲とともに倶利伽羅峠の戦いに参加したかも(出典:小矢部市)。

卑弥呼と桃太郎という、現代日本人ならば多かれ少なかれ認知度100%のキャラクターに擬される姉と弟を持つ、このヒコサシカタワケ、残念ながら現在の日本において一般的に知名度のある方ではないかもしれません。

しかし、今回のテーマは北陸新幹線(北陸)と古事記。そうなれば、この方にスポットライトが向けられます。

古事記にはヒコサシカタワケが「高志の利波の臣、豊国の国前の臣、五百原の君、角鹿の済の直の祖」と明記されています。高志、つまり越の国、今の北陸から上越地方にかけての一帯の歴史を創世した人物の一人であるわけです。

古事記にはそれ以上の記述はありませんので、その他の情報から探っていくしかありません。「高志の利波の臣」から。越中地方に利波氏という古代豪族が確認されます。おそらくその祖がヒコサシカタワケなのでしょう。

利波氏はその後の時代に、利波の臣志留志などが輩出しますが、あまり資料のない豪族です。富山県小矢部市下川崎あたりが拠点だった、とも伝わっています。

その後、利波氏から生じてきたのが石黒氏と言われています。ただし、石黒氏自身は孝元天皇の孫・建内宿禰を祖としている、としており、ヒコサシカタワケにとっては異母兄弟の孫、少し遠くなります。

石黒氏からは、源平期に木曾義仲(上画像の銅像)に従って倶利伽羅峠の戦いで活躍した石黒光弘、戦国期に一向一揆と敵対した木舟城主・石黒成綱、江戸期に精巧な地図を作ったことで有名な石黒信由などが出ました。

また、「角鹿の済の直」も、角鹿が敦賀の旧称ですので、やはり北陸と関係していそうです。しかし、こちらは詳しくはたどれませんでした。また改めて。

どちらにしろ、ヒコサシカタワケという孝霊天皇の皇子が、北陸の歴史に一役買ったことは間違いなさそうで、今でも富山県砺波市や南砺市の荊波神社、臼谷八幡宮(富山県・小矢部市)などに祀られています。

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