・所在地:岡山県倉敷市北区撫川1588

・時 期:2世紀~3世紀
・時 代:弥生時代後期
・形 状:集落
・特 徴:-
・指 定:-

【概要】
岡山県倉敷市上東、足守川が総社盆地を児島湾側に出た西岸の平地にある弥生時代後期の遺跡。

第2次大戦前地下げ工事で多数の土器が出土し、吉備地方弥生後期の典型的な土器として位置づけられてきた。

遺跡は1972‐73年と75‐76年に発掘され、竪穴住居なども発見されたが、多数の完形品を収めた土壙が主である。

発達した頸部に太い条線文(弥生中期後半の凹線文の退化したもの)を篦(へら)描きした壺と大型器台が特徴的な土器で、上東式とよばれている。

洪水に襲われたとみられ、一気に流されたらしい土器や生活用品が、ほぼ完全な形のままで、現在までに約600点みつかっている。

また、船着き場とみられる遺構も確認されており、船を活用した交易が行われた可能性が指摘されている。

邪馬台国畿内説を取る場合、魏志倭人伝における投馬国周辺地域に該当するため、その関わりも指摘されることがある。

また、古墳時代にはまだ謎の多い吉備王国とも言うべき文化が花開いた地であり、その連続性、あるいは不連続性などにも注目が集まる出土品となった。

この北には、この時期の弥生期のものとしては最大規模を誇る墳丘墓・楯築遺跡がある。

【関連サイト】
上東遺跡 - コトバンク
上東遺跡の調査区全景