・所在地:岡山県岡山市高塚
・経緯度:北緯34度68分94.30秒 東経133度80分46.99秒

・時 期:2世紀~3世紀
・時 代:弥生時代後期
・形 状:-
・特 徴:-
・指 定:-

【概要】
岡山自動車道の予定地で行われた発掘調査で、銅鐸や貨泉が出土した。

平成元年8月25日発掘調査中に銅鐸が発見された。長径73センチ、短径43センチ、深さ40センチの穴の中に、鰭が垂直に立つように横に寝かせて埋められていたという。まさに、銅鐸を埋納するために掘られた穴であり、各地で確認された埋納方法の多くがこの形をとっており、銅鐸の分布圏全域にわたって共通の観念が存在していたことを示す。

また、中国で作られた貨泉(かせん)が25枚発見された。それまでの全国のものを全部合わせても、弥生時代の出土例は11遺跡16枚を数えるにすぎなかったため、その量の多さがうかがい知れる。貨泉が出土したのは弥生時代後期の貯蔵穴。この穴の埋土の焼土や炭・灰に混じっていた。火災か何か不慮の事態に遭い、穴の中へ埋没したものと思われる。

銅鐸の穴と、貨泉の穴はわずか数十センチしか離れておらず、同じ年代の土器が出土しており、いずれも西暦1世紀頃のものと考えらている。

また、別の銅鐸の小片が一つ、弥生時代後期末の住居跡が埋まった後に掘られた柱穴から出土している。一つの遺跡から出土した二つの銅鐸の異なった取り扱いについても注目が集まっている。

邪馬台国畿内説を取る場合、魏志倭人伝における投馬国周辺地域に該当するため、その関わりも指摘されることがある。

【関連サイト】
大地からのメッセージ(11) 銅鐸の発見 - 岡山県古代吉備文化財センター