・所在地:大阪府和泉市池上町と同泉大津市曽根町
・経緯度:北緯34度50分24.38秒 東経135度42分77.86秒
・時 期:紀元前1世紀~1世紀
・時 代:弥生時代中期
・形 状:環濠集落
・特 徴:-
・指 定:国の史跡
【概要】
いけがみ・そねいせき。池上曽根遺跡とも。大阪府和泉市池上町と同泉大津市曽根町とにまたがる弥生時代中期の環濠集落遺跡。南北1.5キロ、東西0.6キロの範囲に広がり、総面積60万平米に達する大集落遺跡。国の史跡。
1903年(明治36年)に池上町在住、南繁則が自宅の土塀(遺跡の土を用いて築造)から石鏃を発見。それ以降、調査が続けられ、1993年(平成5年)に集落を取り囲む大溝を検出。南北約300メートル、東西約400メートルの大環濠と推定された。
この溝の中から多量の土器・石器や獣骨の他に農工具を中心とした木製品出土。その中には鳥形木製品、男性器形木製品など含まれていた。
環濠は、二重にめぐらされている。環濠で囲まれた居住区が約25万平米。環濠集落西方一帯に水田域が推定される。
直径2メートル、深さ1.2メートル。樹齢700年のクスノキを一木造りしている巨大丸太くりぬき井戸、墓域約40万平米の方形周溝墓20基、うち周囲を溝で巡らせた内部に棺を埋めた跡を5か所検出。
鉄製品の工房、高床式大型建物、掘立柱建物の竪穴住居なども検出。建物は井戸の北側3.5メートルにあり、東西17メートル、南北7メートル、面積約135平米の最大級の独立棟持柱(むねもちはしら)の高床式建物跡で、神殿らしい。 【関連サイト】
・池上・曽根遺跡 - Wikipedia
【関連記事】
・秋山浩三『弥生実年代と都市論のゆくえ・池上曽根遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)』
・『ヤマト王権はいかにして始まったか』 - 唐古・鍵遺跡と纒向遺跡の連続性、河内、吉備
・経緯度:北緯34度50分24.38秒 東経135度42分77.86秒
・時 期:紀元前1世紀~1世紀
・時 代:弥生時代中期
・形 状:環濠集落
・特 徴:-
・指 定:国の史跡
【概要】
いけがみ・そねいせき。池上曽根遺跡とも。大阪府和泉市池上町と同泉大津市曽根町とにまたがる弥生時代中期の環濠集落遺跡。南北1.5キロ、東西0.6キロの範囲に広がり、総面積60万平米に達する大集落遺跡。国の史跡。
1903年(明治36年)に池上町在住、南繁則が自宅の土塀(遺跡の土を用いて築造)から石鏃を発見。それ以降、調査が続けられ、1993年(平成5年)に集落を取り囲む大溝を検出。南北約300メートル、東西約400メートルの大環濠と推定された。
この溝の中から多量の土器・石器や獣骨の他に農工具を中心とした木製品出土。その中には鳥形木製品、男性器形木製品など含まれていた。
環濠は、二重にめぐらされている。環濠で囲まれた居住区が約25万平米。環濠集落西方一帯に水田域が推定される。
直径2メートル、深さ1.2メートル。樹齢700年のクスノキを一木造りしている巨大丸太くりぬき井戸、墓域約40万平米の方形周溝墓20基、うち周囲を溝で巡らせた内部に棺を埋めた跡を5か所検出。
鉄製品の工房、高床式大型建物、掘立柱建物の竪穴住居なども検出。建物は井戸の北側3.5メートルにあり、東西17メートル、南北7メートル、面積約135平米の最大級の独立棟持柱(むねもちはしら)の高床式建物跡で、神殿らしい。 【関連サイト】
・池上・曽根遺跡 - Wikipedia
【関連記事】
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