・所在地:京都府与謝郡与謝野町岩滝字大風呂
・経緯度:北緯35度57分21.58秒 東経135度15分08.16秒
・時 期:2世紀~3世紀
・時 代:弥生時代後期
・形 状:台状墓
・特 徴:-
・指 定:-
【概要】
大風呂南遺跡群とも。弥生時代後期の丹後地方の首長の墓と推定される台状墓二基と、大小合わせて10の埋葬施設が確認されている遺跡。
一号墓の木棺内部には朱が敷き詰められ、ガラス釧(腕輪)1点、ガラス製の勾玉10点などの装飾品や、鉄剣11本などの大量の鉄製品が副葬されていた。
コバルト・ブルーに煌くガラス釧は一躍有名になり、一時話題となった。原材料を中国から輸入し、当地で加工していた形跡があることから、そうした中国とのつながりと、加工技術を有する集団の存在が明らかになっている。
また、鉄剣11本というのは、同時期の墓の副葬品としては極めて多く、当地の王の墓である可能性はもちろん高いばかりか、相当の勢力を誇った集団であったことがうかがえる。
【関連サイト】
・弥生時代のガラス釧とその副葬(PDF)
・経緯度:北緯35度57分21.58秒 東経135度15分08.16秒
・時 期:2世紀~3世紀
・時 代:弥生時代後期
・形 状:台状墓
・特 徴:-
・指 定:-
【概要】
大風呂南遺跡群とも。弥生時代後期の丹後地方の首長の墓と推定される台状墓二基と、大小合わせて10の埋葬施設が確認されている遺跡。
一号墓の木棺内部には朱が敷き詰められ、ガラス釧(腕輪)1点、ガラス製の勾玉10点などの装飾品や、鉄剣11本などの大量の鉄製品が副葬されていた。
コバルト・ブルーに煌くガラス釧は一躍有名になり、一時話題となった。原材料を中国から輸入し、当地で加工していた形跡があることから、そうした中国とのつながりと、加工技術を有する集団の存在が明らかになっている。
また、鉄剣11本というのは、同時期の墓の副葬品としては極めて多く、当地の王の墓である可能性はもちろん高いばかりか、相当の勢力を誇った集団であったことがうかがえる。
【関連サイト】
・弥生時代のガラス釧とその副葬(PDF)
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