・所在地:島根県出雲市斐川町神庭878
・経緯度:北緯35度37分66.48秒 東経132度85分25.54秒

・時 期:紀元前1世紀~1世紀
・時 代:弥生時代中期
・形 状:銅剣
・特 徴:-
・指 定:国の史跡

【概要】
こうじんだにいせき。国の史跡。「荒神谷遺跡」が正式名であるが、大字名を冠して「神庭荒神谷遺跡」とも呼ばれる。

1983年広域農道(愛称・出雲ロマン街道)の建設に伴い遺跡調査が行われた。この際に調査員が古墳時代の須恵器の破片を発見したことから発掘が開始された。1984年-1985年の2か年の発掘調査で、銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土。

銅剣は1985年、銅鐸・銅矛は1987年に国の重要文化財に指定されていたが、1998年に一括して「島根県荒神谷遺跡出土品」として国宝に指定された。

出土品は現在、文化庁が所蔵し、島根県立古代出雲歴史博物館などに保管されている。遺跡自体は1987年に国の史跡に指定された。斐川町(現:出雲市)が中心となり1995年に遺跡一帯に「荒神谷史跡公園」が整備された。

2005年には公園内に「荒神谷博物館」が開館し、出土品の期間展示などが行われている。現在、出土品は2007年3月に出雲市大社町杵築東に開館した「島根県立古代出雲歴史博物館」に常設展示されている。

銅剣の一箇所からの出土数としては最多であり、この遺跡の発見は日本古代史学・考古学界に大きな衝撃を与えた。これにより、実体の分からない神話の国という古代出雲のイメージは払拭された。

その後の加茂岩倉遺跡の発見により、古代出雲の勢力を解明する重要な手がかりとしての重要性はさらに高まった。出土物に「×」印を刻まれていることも共通している。出土した青銅器の製作年代は、弥生時代中期後半とみられている。

【関連サイト】
荒神谷遺跡 - Wikipedia 

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