・所在地:鳥取県西伯郡大山町妻木1115-4

・時 期:紀元前2世紀~4世紀
・時 代:弥生時代中期-古墳時代前期
・形 状:高地性集落
・特 徴:-
・指 定:国の史跡

【概要】
むきばんだいせき。妻木晩田遺跡群とも。国内最大級の弥生集落遺跡。遺跡の面積は156ヘクタールで、吉野ヶ里遺跡(佐賀県・吉野ヶ里町)と比べても倍以上。

大山山系から続く丘陵(通称「晩田山」)上に位置し、美保湾(日本海)を一望できる。島根県安来市から、この妻木晩田遺跡まで弥生後期に栄えた古代出雲の中心地であったと考えられる。

1995年から1998年にかけて調査が行われ、紆余曲折がありながらも、国の史跡に指定され、鳥取県によって保存・整備が図られている。

標高90-120メートル前後(平野部との比高差100メートル前後)の尾根上を中心に立地し、17.2ヘクタールが調査された結果、集落関係では竪穴住居395基、掘建柱建物跡502基、墳丘墓(四隅突出型墳丘墓含む)24基、環壕等が検出されている。

一連の集落は弥生時代後期を中心に中期終わり頃から古墳時代前期初頭にわたって営まれている。いわゆる倭国大乱の影響とされる高地性集落であるが、比較的大規模で長期にわたる例は少ない。

集落は、概ね東側が居住地区、西側の丘陵先端が首長の墓域といった構成で、後期中頃以前には洞ノ原(どうのはら)地区の最西端に環壕が機能していたものと考えられる。また居住地区は竪穴住居と掘建柱建物各3-4棟の単位によって構成されるものと見られ、弥生時代後期終わり頃以降では鍛冶、玉造り、土器焼成などの活動が認められる。

更に最高所に位置する松尾頭地区では、祭殿や首長の住居と推定される建物跡も確認されている。

竪穴住居は、全部で700ぐらいある。その中の大部分は小さくて深く、直径3-6メートル、深さ1メートルぐらいで、外から見ると屋根しか見えない。大きい竪穴住居は浅くて、直径6-8メートル、深さ0.5-0.7メートルぐらいで、外から見ても壁が見える。

弥生の終わりの3世紀中頃から4世紀ぐらいまでにかけて、有力者も竪穴住居に居住していたと思われる。

遺物は、土器、石器(調理具・農工具・狩猟具・武器)、鉄器(農工具・武器)、破鏡等が出土している。鉄器は鉇・斧・鑿・穿孔具・鍬鍬先・鎌・鉄鏃等、弥生時代のもののみで197点が出土しており、大陸性のものも確認されている。

【関連サイト】
妻木晩田遺跡 - Wikipedia

【関連記事】
妻木晩田遺跡の仙谷8号墓から人骨を発見、2015年秋にも詳細判明、卑弥呼と同時代人物?
高田健一『妻木晩田遺跡―甦る山陰弥生集落の大景観 (日本の遺跡)』