・所在地:広島県三原市八幡町
・経緯度:北緯34度47分34.99秒 東経133度06分88.78秒

・時 期:2世紀~3世紀
・時 代:弥生時代後期
・形 状:製鉄炉
・特 徴:-
・指 定:-

【概要】
弥生時代後期の遺跡。1995年に3世紀のものと推定される製鉄炉が見つかった。それまで、日本のタタラ、製鉄は5-6世紀から始まるとされていたものを、一気に数百年早める大発見となった。

もともと日本の鉄の生産は、西日本全域で大陸系磨製石器が減り、鉄器が急に増えた弥生時代後期ととらえる説もあったが、この遺跡がこの説を裏付けた形。

広島県埋蔵文化財調査センターによると、 製鉄炉は、弥生時代後期の集落跡近くに約50メートル離れて二基並んでいた。うち一基は、直径50センチ、深さ約25センチのすり鉢状の穴で、左右に鉱滓(こうさい=スラグ)が 詰まった土壙(どこう)があった。放射性炭年代測定の結果、土壙は三世紀のものとわかった。

同センターは、
1.三つの穴は一緒につくられたと考えられる
2.近くから弥生時代後期前半の土器片が見つかっている
3.形が他に比べて原始的・・・
などから三世紀のものと結論づけたという。

川越哲志・広島大学教授(考古学)は発見当時、遺構の周辺から弥生式土器の破片が出たことを考えれば、製鉄炉も弥生時代につくられたものに間違いない。製造した鉄はおそらく工具類をつくるのに使ったのだろう、と話していた。

【関連サイト】
須佐の男の命伝承(その2)と草薙の剣 - 邪馬台国の会