・所在地:岡山県岡山市中区高屋45
・経緯度:北緯34度67分11.11秒 東経133度96分10.34秒

・時 期:弥生時代後期末にかなり広大な水田を行う
・時 代:縄文時代後期~中世
・形 状:環濠集落
・特 徴:-
・指 定:-

【概要】
百間川は、岡山平野のほぼ中央部を流れる旭川の放水路であり、百間川改修工事の際に、中流域の河川敷の下4カ所で集落遺跡が発見され、1977年(昭和52年)より発掘調査が行われている。

縄文時代後期から中世にかけての複合遺跡。四つの遺跡を総称して百間川遺跡、あるいは百間川遺跡群。弥生時代後期末には、水田がかなり広大に行われていたと推定されている。「田植え」が行われていたと考えられている。

原尾島遺跡は、縄文時代後期から室町時代にかけての集落群が発掘された。主に弥生時代後期から古墳時代にかけての集落、鎌倉時代から室町時代にかけての集落が中心。

沢田遺跡は、弥生時代前期から古墳時代前期にかけての集落群の遺跡。特に弥生時代の遺跡は環濠に囲まれていたことが確認されている。ここで発掘された弥生土器は現在、岡山市埋蔵文化財センターに収蔵されている。

兼基・今谷遺跡は、弥生時代から古墳時代にかけての遺跡と鎌倉時代の集落跡の遺跡。弥生時代の遺跡からは水田跡や掘立柱の建物群が発掘された。

米田遺跡は、弥生時代から古墳時代にかけての遺跡と、奈良時代から室町時代にかけての遺跡である。特に奈良時代から室町時代にかけての遺跡では道路や橋脚の跡や、掘立柱の建物群が発掘されている。

【関連サイト】
百間川 - Wikipedia