・所在地:山口県下関市豊北町土井ヶ浜
・経緯度:北緯34度29分33.69秒 東経130度88分60.10秒
・時 期:紀元前3世紀~1世紀
・時 代:弥生時代前期-中期
・形 状:墓地
・特 徴:-
・指 定:-
【概要】
弥生時代前期から中期の墓地遺跡。「戦士の墓」あるいは「英雄の墓」などと呼ばれる。渡来人あるいはその混血の人々と考えられている。
発見は1930年まで遡る。1930年晩秋夕刻、神玉小学校教諭河野英男により、砂丘中に6体の人骨が入った石棺が露出しているのが確認された。その後、調査発掘が繰り返される。国の史跡。
現在では遺跡のほぼ全域が「土井が浜弥生パーク」として整備され、「土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム」が造られている。
土井ヶ浜遺跡は響灘の海岸から300メートルほど入ったところにある。海岸沿いに砂丘があり、それに直交するようにもう一つの砂丘がある。この海岸と直角にある砂丘を利用して墓地がある。東西約120メートル、南北約40メートルほどの広さ。
これまでに延べ19回の学術調査が行われ300体を超える弥生人の骨が見つかっている。砂の中に混じっている貝殻の石灰分が骨のカルシウム分の保存に適し、人骨の保存状態が良好。
出土した人骨の形質が縄文人のそれと異なることから、土井ヶ浜遺跡は稲作文化とともに中国大陸側からやってきた渡来人の墓地として注目されてきた。
埋葬の様子は、砂地を掘り、その中に遺体を安置し、砂で覆う簡単なものが大半である。他に箱式石棺や石囲い、四隅や頭辺・足元などに配石するなどである。簡単な墓標を設けているものなどが見られる。
胸部から鳥の骨が検出された。「鵜を抱く女」と呼ばれる。鳥を抱いて埋葬されたものと考えられている(1号人骨)。 弥生時代の人々は、鳥を神の国と人の世を仲立ちする使者と考えていたことが判っている。このことから、この人骨は、特別な霊的能力を持った女性シャーマンの埋葬例ではないかとされる。
「英雄」は78人以上の人々と共に海岸の墓地に眠っていた弥生前期の人で、1954年の第2次調査で出土した第124号人骨のこと。この人骨の胸から腰にかけて15本の石鏃が打ち込まれていた。至近距離から打ち込まれたものとされ、土井ヶ浜のムラを守るために戦った戦士であったとも考えられている。
最近の調査で、中国山東省の遺跡で発掘された漢代の人骨資料の中に、土井ヶ浜人ときわめてよく似た形質をもつ資料が多く見つかっている。
【関連サイト】
・土井ヶ浜遺跡 - Wikipedia
・経緯度:北緯34度29分33.69秒 東経130度88分60.10秒
・時 期:紀元前3世紀~1世紀
・時 代:弥生時代前期-中期
・形 状:墓地
・特 徴:-
・指 定:-
【概要】
弥生時代前期から中期の墓地遺跡。「戦士の墓」あるいは「英雄の墓」などと呼ばれる。渡来人あるいはその混血の人々と考えられている。
発見は1930年まで遡る。1930年晩秋夕刻、神玉小学校教諭河野英男により、砂丘中に6体の人骨が入った石棺が露出しているのが確認された。その後、調査発掘が繰り返される。国の史跡。
現在では遺跡のほぼ全域が「土井が浜弥生パーク」として整備され、「土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム」が造られている。
土井ヶ浜遺跡は響灘の海岸から300メートルほど入ったところにある。海岸沿いに砂丘があり、それに直交するようにもう一つの砂丘がある。この海岸と直角にある砂丘を利用して墓地がある。東西約120メートル、南北約40メートルほどの広さ。
これまでに延べ19回の学術調査が行われ300体を超える弥生人の骨が見つかっている。砂の中に混じっている貝殻の石灰分が骨のカルシウム分の保存に適し、人骨の保存状態が良好。
出土した人骨の形質が縄文人のそれと異なることから、土井ヶ浜遺跡は稲作文化とともに中国大陸側からやってきた渡来人の墓地として注目されてきた。
埋葬の様子は、砂地を掘り、その中に遺体を安置し、砂で覆う簡単なものが大半である。他に箱式石棺や石囲い、四隅や頭辺・足元などに配石するなどである。簡単な墓標を設けているものなどが見られる。
胸部から鳥の骨が検出された。「鵜を抱く女」と呼ばれる。鳥を抱いて埋葬されたものと考えられている(1号人骨)。 弥生時代の人々は、鳥を神の国と人の世を仲立ちする使者と考えていたことが判っている。このことから、この人骨は、特別な霊的能力を持った女性シャーマンの埋葬例ではないかとされる。
「英雄」は78人以上の人々と共に海岸の墓地に眠っていた弥生前期の人で、1954年の第2次調査で出土した第124号人骨のこと。この人骨の胸から腰にかけて15本の石鏃が打ち込まれていた。至近距離から打ち込まれたものとされ、土井ヶ浜のムラを守るために戦った戦士であったとも考えられている。
最近の調査で、中国山東省の遺跡で発掘された漢代の人骨資料の中に、土井ヶ浜人ときわめてよく似た形質をもつ資料が多く見つかっている。
【関連サイト】
・土井ヶ浜遺跡 - Wikipedia
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