・所在地:福岡県福岡市博多区那珂1丁目44
・経緯度:北緯33度57分08.33秒 東経130度43分58.33秒

・時 期:4世紀初頭
・時 代:古墳時代前期
・形 状:前方後円墳
・特 徴:-
・指 定:市史跡

【概要】
なかはちまんこふん。古墳時代発生期・出現期の前方後円墳。福岡市指定史跡。

1948年(昭和23年)に、神社境内で弥生時代の銅戈鋳型が発見された。その後、1971年(昭和46年)に九州大学考古学研究室が銅戈鋳型と同時期の遺構・遺物を発見すべく発掘調査したところ、神社がある独立丘陵が帆立貝形古墳であることが判明した。

さらに、1985年(昭和60年)に福岡市教育委員会が市道那珂・竹下駅前線に伴う発掘調査を行なった結果、後世の改変をかなり受けているが、くびれ部が反るように広がる前方後円墳であることが判明。また、後円部から見つかった2基の主体部のうち1基から、三角縁神獣鏡などの初期古墳に典型的な遺物が出土。また、京都府椿井大塚山古墳の同笵鏡が出土。

墳丘長約75メートル、後円部径約48メートル。墳丘そのものは、墳丘裾が鎌倉時代からの現代の住宅地造成、さらに太平洋戦争中の防空壕の設置によって削平されていたが、後円部は神社の社殿が立地することからも良好に残っていた。

一方の前方部は、大部分が那珂保育園(調査当時、現在は福岡市教育委員会埋蔵文化財課那珂整理室が立地)によって、大部分が削平されている。発掘調査で見つかった墳丘から、正円形でない後円部やくびれ部の広がり方は、箸墓古墳と同じ撥形になる、発生期・出現期古墳の典型的な姿。

古墳の被葬者は、当時この地を支配した首長であり、両河川即ち福岡平野全体を支配した北九州の中小首長であると考えられている。大和の発生期・出現期の前方後円墳と比べ規模は格段の差があるが、同じ時期のものと推定され、初期ヤマト政権との関係が注目される。

【関連サイト】
那珂八幡古墳 - Wikipedia