・所在地:福岡県糸島市有田、平原二番地「平原歴史公園」内

・時 期:1世紀~3世紀
・時 代:弥生時代後期
・形 状:墳丘墓
・特 徴:-
・指 定:国の史跡

【概要】
ひらばるいせき。弥生時代後期のものと考えられる遺跡。曽根遺跡群の一つとして、国の史跡に指定。

弥生時代後期から晩期の5つの墳丘墓を合わせた名称。昭和40年(1965年)、平原遺跡1号墓が偶然発見され、原田大六を中心に学術調査された。昭和63~平成11年度にかけて、1号墓周辺に調査範囲を広げて、最終的に「5基の墳丘墓」が発見されている。

1号墓は方形周溝墓で、割竹形木棺の埋納が検出されている。墓壙周辺に12本の柱穴跡があり、上から見て、このうちの10本を結ぶと平行四辺形の形が浮き上がる。

1号墓の副葬品の中には日本製と中国製の破砕した銅鏡片が多数あり、この破片は39面(ないし40面)に復元されている。この数は1つの墳墓から出土した銅鏡の枚数としては日本最多。

1号墓出土品の一部は「福岡県平原方形周溝墓出土品」の名称で2006年、国宝に指定された。

魏志倭人伝に記された、伊都国の領域に存在するとの指摘がある。

所在する平原歴史公園は、日本の歴史公園100選の一つ。

【関連サイト】
平原遺跡 - Wikipedia

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