舒明天皇陵・段ノ塚古墳 - Wikipedia
奈良県立橿原考古学研究所は2015年1月15日、同県明日香村川原の小山田遺跡で、天皇か大豪族クラスの古墳の一部とみられる石積みと堀が見つかったと発表しました。7世紀中頃の方墳と推定され、墳丘は一辺50メートル以上。石舞台古墳(7世紀前半、同村)を超える国内最大級の方墳とみられます。

同研究所は規模などから、中大兄皇子(天智天皇)の父、舒明天皇(在位:629年-641年)が最初に葬られた墓の可能性が高いとしています。時事通信が報じています。写真は、舒明天皇の陵として治定されている段ノ塚古墳(奈良県・桜井市)(出典:Wikipedia

舒明天皇は第三十四代天皇。古事記は第三十三代推古天皇で終わる、という言い方をされますが、舒明天皇も古事記で名や宮などが記されています。ただし、陵墓情報は古事記にはないので、前述の「古事記は第三十三代推古天皇で終わる」ということにはなっている、という訳です。

古事記には陵の記載はありませんが、宮内庁では、段ノ塚古墳を「押坂内陵」として治定しています。今回発見された古墳は、この段ノ塚古墳に埋葬される前に葬られた墓所、ということのようです。

日本書紀によると、舒明天皇は「滑谷岡(なめはざまのおか)」に葬られた後、「押坂陵(おしさかのみささぎ)」に改葬されています。つまり、今回の発見は滑谷岡ではないか、ということになります。

今回の発見については、なお調査が必要のようですが、段ノ塚古墳はいわゆる八角墳であり、前方後円墳でもなく、方墳でもない、天皇として初めて八角墳という形態の陵墓に埋葬されたことで知られていました。滑谷岡→押坂陵の改葬にあたっては、「大王を八角墳に埋葬すべきか否か」の議論が当時あったのかもしれません。

葬送の変化を知る上でも、今回の発見は大変貴重です。ぜひとも、今後の成り行きを見守っていきたいところです。

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