卑弥呼 千七百年の謎を解く―日本書紀には年代改変前の原形が残されている
・刊行:2005/5
・著者:小路信次
・出版:近代文芸社

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これまで日本書紀の古代の部分については創作されたものであり、信頼できないものであるとされてきました。しかし、詳細に分析してみると、天皇の在位年数を積み増し、記事を追加したと思われる箇所に目印が入れられているのです。

その目印をもとに追加されたと考えられる部分を削除し、年代を整理すると非常に現実的な年代構成と内容になります。

例えば、倭の五王の宋への遣使の年代は五人の天皇の在位期間内にきれいに分かれて納まります。ちなみに、安康天皇の在位期間は461年から463年までとなり、462年に遣使をした倭王興は安康天皇で決まりということになります。

本書の本題である魏志倭人伝が記述する卑弥呼の時代については、卑弥呼の女王国と狗奴国とが戦っている時期が崇神天皇の時代となります。

ちなみに崇神天皇の在位期間は242年から258年までで、258年は古事記の記述する崇神天皇の崩年干支の年と一致します。

この日本書紀を修正した内容と魏志倭人伝とを付き合わせて分析してみると、卑弥呼は、既に多くの方が主張されているのと同じになりますが、倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソヒメ)、その後継の男王は大田田根子命(オオタタネコ)、その後継の女王台与は豊鍬入姫命(トヨスキイリビメ)、狗奴国の王は崇神天皇、狗奴国の官(狗古智卑狗)は吉備津彦命(古事記の比古伊佐勢理毘古=オオキビツヒコ)であると推定できます。

その他、日中の文献史料の突き合わせにより、大和王権が成立してから基盤を固めていく過程において、女王国とのせめぎ合いがあったことなども推定することができます。

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