古事記のひみつ―歴史書の成立 (歴史文化ライブラリー)
・刊行:2007/3
・著者:三浦佑之
・出版:吉川弘文館

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ヤマトタケルは、なぜ古事記と日本書紀で全く別人のように描かれているのか。

「日本書」をキーワードに、古代の歴史書=古事記・日本書紀・風土記の成立に隠された秘密に迫り、独自の視点から古代神話をわかり易く読み解く。

管理人了
古事記「序」偽造説を展開。

古事記「序」のおかしさは古くから指摘されていたことだが、太安万侶の墓誌の発見に伴い、その指摘が全くなくなったこと、しかし、太安万侶の墓誌と古事記「序」の真偽性に因果関係は成り立たないこと、また、古事記「序」がおかしいからといって、古事記本文まで偽書とする考えがあったことを、これでもか、というぐらい丹念に解説して論駁。

はっきり言って、古事記「序」はおかしいが、そこまで丹念に解説しなければならないほど、古事記「序」への批判は慎重を期する必要がある、ということが逆にわかる。

古事記「序」はおかしいが、古事記本文はおかしくない、というありそうであまりなされてこなかった論。そして、古事記本文は8世紀前半より古くに成立、具体的には7世紀後半を想定している。

古事記の内容が律令にそぐわない(だから律令体制の整備が進められていた8世紀にもそぐわない)というのであれば、さらに推し進めて、いつの成立にしても、古事記本文は天皇そのものの正統性や権威付けにも決定的には資さない内容、とは考えられないだろうか。

例に挙げているマヨワのような存在やその説話は、律令体制にはもちろん、反天皇、反体制すらうかがえる。しかし、古事記は全体として徹底的に天皇や天皇を中心とした体制を貶めているのでもなく、大きなフレームとしての天皇を中心とした体制を容認する、というような記述に、古事記の独特さはあるような気がする。そして、それが魅力あふれる物語としている要因。

サクヤのお腹の子がニニギとの間のではなく、不倫相手との子の可能性を指摘する説話。これは極めて重大だし、始祖説話やその系譜を説明するのに、このような「危うい」神話をその後裔が保持する、というのは世界的にも稀なのではないだろうか。実際にあったこと、少なくともそう伝承されてきたこと、そのまま、と考えた方が分かりやすい。

しかし、古事記を記紀として一括りにして律令体制の歴史書として容易に疑問も持たずに位置づける論調が現在まで一貫して主流の中で(古事記、通読したことあるのかな、と思いたくなるようなものも含め)、そうではない、と明確に主張した好著。

個人的にも古事記が8世紀前半より前、7世紀に成立していてもおかしくない、と考えてはいるが、ならばどうして、日本書紀720年よりほんの少し前の712年という、ある意味では中途半端な時期を「序」は成立時に設定したのだろう。天武天皇の発意にどうしてもしたかった? 第三十三代推古天皇の発意でも十分権威づけになるような気がするのは現代的な感覚だろうか。

そうした意味で、成立そのものは712年ごろ(後世の権威付けならば、いつに設定してもよいわけなのに、この年にしている、ということは、本当にこの年頃にまとめられた、という可能性が高い)だったが、「序」には反日本書紀的な思いを古事記に託したかったという思惑があった、また実際古事記本文は日本書紀の編纂姿勢に疑問のあったあるグループ(氏族)が内々に日本書紀にわずかに先行する形で(本当のところを)まとめた、反日本書紀(というのはきつい言い方なので、日本書紀批判)としての私的史書だった、と見るのはうがちすぎだろうか。

また、推古朝までの記述とされる古事記だし、本書でもそれが強調され、成立時期を7世紀後半としている面もあるが、実際の記述は第二十三代顕宗天皇までで終了しているも同然。この点の踏み込みもあればよかった。