・刊行:2009/3
・著者:丸山雍成
・出版:吉川弘文館
・『邪馬台国 魏使が歩いた道 (歴史文化ライブラリー)
』をアマゾンで購入
邪馬台国はどこにあったのか? この日本史最大の謎に、近世交通史の大家が挑んだ異色の一冊。
交通史学と考古学の両面から、ついに邪馬台国の所在地が浮かび上がる。いまだ諸説飛び交う邪馬台国論争に一石を投じる。
【関連記事】
・【邪馬台国論争】今までの研究・論争まとめ - 九州説 - 福岡県 - 熊本県
管理人了
従来の邪馬台国研究に関する学説史を要約的に紹介し、主に九州地方の関連遺跡をふんだんに掲載しており、タイトルにある情緒的なものを思わせるものよりもむしろ、邪馬台国と考古学、という方向にベクトルが向いている。
邪馬台国を九州の中央地帯、特に肥後中北部及び筑後に推定し、宮室・楼観・城柵と径百余歩の塚について、第一候補を九州中央部の鞠智城とうてな台地、第二候補を同北部の筑後女山ないし高良山の台地と見た。


・著者:丸山雍成
・出版:吉川弘文館
・『邪馬台国 魏使が歩いた道 (歴史文化ライブラリー)
邪馬台国はどこにあったのか? この日本史最大の謎に、近世交通史の大家が挑んだ異色の一冊。
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邪馬台国を九州の中央地帯、特に肥後中北部及び筑後に推定し、宮室・楼観・城柵と径百余歩の塚について、第一候補を九州中央部の鞠智城とうてな台地、第二候補を同北部の筑後女山ないし高良山の台地と見た。


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