邪馬台国の滅亡―大和王権の征服戦争 (歴史文化ライブラリー 294)
・刊行:2010/3
・著者:若井敏明
・出版:吉川弘文館

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邪馬台国論争を解決する鍵は何か。

『記紀』を丹念に読み解き、邪馬台国の位置が九州北部であったことを論証。

大和政権が邪馬台国を滅ぼし、どのように全国を統一したのか、その真実に迫り、新たな古代史像を描きだす。

邪馬台国が大和政権に発展継承したのではなく、九州遠征を行った大和政権が邪馬台国の後継・故地を征服する、という説。

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大和政権による邪馬台国の征服が、日本書紀にある第十二代景行天皇と第十四代仲哀天皇による九州征討。それをたどって行けば、邪馬台国の所在地が分かると指摘。

具体的には邪馬台国は福岡県山門郡付近を想定、日本書紀にある田油津媛は卑弥呼の後裔と比定。

読み飛ばしているのかもしれないが、大和政権は初代神武天皇から、大和地域で突然始まっており、『記紀』の重視を説きながら、天孫降臨、神武東遷には触れていないように思われる。
『魏志倭人伝』と日本列島 - 若井敏明『邪馬台国の滅亡―大和王権の征服戦争』P18