オオクニヌシの能登開拓の伝承、崇神の御世及び以前の創建の能登国一宮
[住所]石川県羽咋市寺家町ク1
[電話]0767-22-0602
氣多大社(けたたいしゃ 気多大社、気多神社、氣多神社)は、石川県羽咋市にある神社。旧称は「氣多大神宮」。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「気多神社(能登国・羽咋郡)」比定される式内社(名神大社)。歴史的な一宮としての能登国一宮。近代社格では国幣大社。現在は神社本庁に属さない単立神社。「全国一の宮会」に加盟している。
御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)。大己貴命が出雲から舟で能登に入り、国土を開拓したのち守護神としてこの地に鎮まったとされる。
古くから北陸の大社として知られ、中世・近世には歴代の領主からも手厚い保護を受けた。本殿など5棟の社殿が国の重要文化財に指定されているほか、国の天然記念物「気多神社社叢」が「入らずの森」として知られる。
社伝『気多神社縁起』によれば、第8代孝元天皇の御代、古事記の記述と時代としてはそぐわないが、御祭神の大己貴命が出雲から300余神を率いて来降し、化鳥・大蛇を退治して海路を開いたという。
また、『気多社島廻縁起』では、気多大菩薩は孝元天皇の時に従者を率いて渡来した異国の王子であり、能登半島一体を巡行して鬼神を追放したと記される。
『気多社祭儀録』では、御祭神は第10代崇神天皇の御代の勧請とし、神代からの鎮座とする説もあると記される。
一説として、孝元天皇の御代には七尾市に鎮座(現在の気多本宮)し、崇神天皇の御代に当地に遷座したとも伝えられる。
戦後は神社本庁の被包括宗教法人となり別表神社に指定されていたが、平成17年(2005年)11月に単立神社となる決定を行った。
しかし、その後、神社本庁はもちろん、県や文科省も絡んだ法廷闘争となる。結局、平成22年(2010年)4月、最高裁の判断で、当社の決定が確定し、単立神社となった。
別表神社の神社本庁からの離脱は平成14年(2002年)の京都霊山護国神社以来となる。
毎年12月8日-16日に行われる古式かつ大国主命にちなむ祭である鵜祭(うまつり)が有名で、「気多の鵜祭の習俗」として国の重要無形民俗文化財に指定されている。
例祭は4月3日。3月17日-23日には平国祭おいでまつりがある。また、境内摂社に大穴持像石神社などがある。
当社は臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に「日本神社100選」として掲載されている。
島根県出雲市の出雲大社、京都府京都市の貴船神社と並ぶ日本三大縁結び神社の一社である。
【ご利益】
農耕、漁業、殖産、医薬、縁結び(公式HP)
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・名神大社とは? - 名神祭の対象となる神々、式内社の中でも特異、その細かな特徴は?
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・歴史的な一宮とは? - 『中世諸国一宮制の基礎的研究』が底本、資料で確認できる一宮
・「全国一の宮会」加盟社とは? - 歴史的な一宮や、新一の宮などを含めた現代版一宮
・近代社格の国幣大社とは? - 氣多、南宮、多度、熊野、大山祇、高良のわずか六社
・別表神社ではない主な神社 - 伏見稲荷、日前・國懸神宮、靖国神社、日光東照宮なども
・国の天然記念物がある神社 - 数百年、数千年という単位で存在し続けている自然のパワー
・重要無形民俗文化財「気多の鵜祭の習俗」 - 特殊な祭祀集団が鵜で豊凶を占う
・日本三大縁結び神社 - 一般的には、島根の出雲大社、京都の貴船神社、石川の氣多大社
・神社の創建年代 - 神代から、神武・神功・継体、そして昭和期まで、主な神社を順に並べた
・日本神社100選とは? - 臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に掲載された神社
・『日本の神社 30号 (氣多大社) [分冊百科] 』 - 御祭神はオオクニヌシ、能登国一宮
・石川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、石川県に鎮座している神社の一覧
[電話]0767-22-0602
氣多大社(けたたいしゃ 気多大社、気多神社、氣多神社)は、石川県羽咋市にある神社。旧称は「氣多大神宮」。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「気多神社(能登国・羽咋郡)」比定される式内社(名神大社)。歴史的な一宮としての能登国一宮。近代社格では国幣大社。現在は神社本庁に属さない単立神社。「全国一の宮会」に加盟している。
御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)。大己貴命が出雲から舟で能登に入り、国土を開拓したのち守護神としてこの地に鎮まったとされる。
古くから北陸の大社として知られ、中世・近世には歴代の領主からも手厚い保護を受けた。本殿など5棟の社殿が国の重要文化財に指定されているほか、国の天然記念物「気多神社社叢」が「入らずの森」として知られる。
社伝『気多神社縁起』によれば、第8代孝元天皇の御代、古事記の記述と時代としてはそぐわないが、御祭神の大己貴命が出雲から300余神を率いて来降し、化鳥・大蛇を退治して海路を開いたという。
また、『気多社島廻縁起』では、気多大菩薩は孝元天皇の時に従者を率いて渡来した異国の王子であり、能登半島一体を巡行して鬼神を追放したと記される。
『気多社祭儀録』では、御祭神は第10代崇神天皇の御代の勧請とし、神代からの鎮座とする説もあると記される。
一説として、孝元天皇の御代には七尾市に鎮座(現在の気多本宮)し、崇神天皇の御代に当地に遷座したとも伝えられる。
戦後は神社本庁の被包括宗教法人となり別表神社に指定されていたが、平成17年(2005年)11月に単立神社となる決定を行った。
しかし、その後、神社本庁はもちろん、県や文科省も絡んだ法廷闘争となる。結局、平成22年(2010年)4月、最高裁の判断で、当社の決定が確定し、単立神社となった。
別表神社の神社本庁からの離脱は平成14年(2002年)の京都霊山護国神社以来となる。
毎年12月8日-16日に行われる古式かつ大国主命にちなむ祭である鵜祭(うまつり)が有名で、「気多の鵜祭の習俗」として国の重要無形民俗文化財に指定されている。
例祭は4月3日。3月17日-23日には平国祭おいでまつりがある。また、境内摂社に大穴持像石神社などがある。
当社は臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に「日本神社100選」として掲載されている。
島根県出雲市の出雲大社、京都府京都市の貴船神社と並ぶ日本三大縁結び神社の一社である。
【ご利益】
農耕、漁業、殖産、医薬、縁結び(公式HP)
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