・刊行:2008/3/11
・著者:市澤英利
・出版:新泉社
・『東山道の峠の祭祀・神坂峠遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」 44)
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信濃国(長野)と美濃国(岐阜)の国境の神坂峠。
急峻な峠を古代の幹線道路・東山道が通っていた。
神坂峠遺跡は長野県下伊那郡阿智村智里にある祭祀遺跡。
1921年(大正10)に鳥居龍蔵が須恵器の破片を発見したことに始まり、戦後には石製模造品・土師器・須恵器などが出土、さらに1967年(昭和42)からの調査の結果、祭祀関係遺物が1300点余発掘され、径約4メートル、高さ0.7メートルの積み石塚遺構も発見された。
出土品から推測すると、古墳時代の中期以降に石製模造品を信仰する峠神の祭祀の場となり、奈良・平安時代以降は東海地方の須恵器や緑釉陶器、灰釉陶器の搬入路となった。1981年(昭和56)に国の史跡に指定されている
西へ向かえば都、東へ行けば遠く東国までつづく峠を重い荷を負い、馬を引いて人びとは越えて行った。
峠の頂で旅の無事を感謝し、安全を祈って峠の神に捧げた人びとの祈りの姿を追う。
・著者:市澤英利
・出版:新泉社
・『東山道の峠の祭祀・神坂峠遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」 44)
信濃国(長野)と美濃国(岐阜)の国境の神坂峠。
急峻な峠を古代の幹線道路・東山道が通っていた。
神坂峠遺跡は長野県下伊那郡阿智村智里にある祭祀遺跡。
1921年(大正10)に鳥居龍蔵が須恵器の破片を発見したことに始まり、戦後には石製模造品・土師器・須恵器などが出土、さらに1967年(昭和42)からの調査の結果、祭祀関係遺物が1300点余発掘され、径約4メートル、高さ0.7メートルの積み石塚遺構も発見された。
出土品から推測すると、古墳時代の中期以降に石製模造品を信仰する峠神の祭祀の場となり、奈良・平安時代以降は東海地方の須恵器や緑釉陶器、灰釉陶器の搬入路となった。1981年(昭和56)に国の史跡に指定されている
西へ向かえば都、東へ行けば遠く東国までつづく峠を重い荷を負い、馬を引いて人びとは越えて行った。
峠の頂で旅の無事を感謝し、安全を祈って峠の神に捧げた人びとの祈りの姿を追う。



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