・刊行:2012/8
・著者:野上道男
・出版:古今書院
・『魏志倭人伝・卑弥呼・日本書紀をつなぐ糸
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邪馬台国は南九州(熊本県から宮崎県にかけて)に存在していたが、それは卑弥呼の出身地に過ぎず、日本国のルーツ倭国の歴史は北九州で展開されていた。
日本書紀の崇神5年の記事が2世紀末のタウポ火山(NZ)噴火による天変地異のことだと時代を固定できれば、卑弥呼のパートナーが第十一代垂仁天皇であること、ヤマトタケルのイメージが「一大卒(帥)」に重なることなどを述べる。
南とはN150E、千里は67kmという根拠と実例を詳論。
神功皇后が卑弥呼にあたるように日本書紀は作られている。編纂を命じた当時の権力者の意向にしぶしぶ従った編纂者たちは、将来この操作が見破られることを見越してランダムでなく一定の規則で年代操作した証拠を残していた。
自然地理学で古代史を読む。
【関連記事】
・【邪馬台国論争】今までの研究・論争まとめ - 九州説 - 熊本県 - 宮崎県
管理人了
・著者:野上道男
・出版:古今書院
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邪馬台国は南九州(熊本県から宮崎県にかけて)に存在していたが、それは卑弥呼の出身地に過ぎず、日本国のルーツ倭国の歴史は北九州で展開されていた。
日本書紀の崇神5年の記事が2世紀末のタウポ火山(NZ)噴火による天変地異のことだと時代を固定できれば、卑弥呼のパートナーが第十一代垂仁天皇であること、ヤマトタケルのイメージが「一大卒(帥)」に重なることなどを述べる。
南とはN150E、千里は67kmという根拠と実例を詳論。
神功皇后が卑弥呼にあたるように日本書紀は作られている。編纂を命じた当時の権力者の意向にしぶしぶ従った編纂者たちは、将来この操作が見破られることを見越してランダムでなく一定の規則で年代操作した証拠を残していた。
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