騎馬民族征服王朝は在った―仁徳天皇は朝鮮半島から来入した―
・刊行:2014/8/25
・著者:松島吉春
・出版:イマジン出版

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韓国の古墳発掘から証明される騎馬民族王朝説。

大成洞古墳群(金海市)の発掘調査書(慶星大学校博物館)から、騎馬民族征服王朝説が導かれる金官加耶国王が、周辺の民を巻き込んで5世紀初~前葉に日本列島に移動した。

南下して来た騎馬民族である金官加耶国王は4世紀初頭には、狗邪韓国などの朝鮮半島南端に住んでいた倭人と共に韓倭連合軍をつくり、4世紀前半に筑紫に侵攻し、金官加耶国王は筑紫征服を期に倭王を名乗ったが、都は朝鮮半島の金官国に在った。

5世紀初頭の高句麗戦の敗北後、対高句麗戦に備えて国力を充実させるために、周辺の民を巻き込んで、日本列島の河内へ移動し、河内の新政権の王となった金官加耶(任那)国王、すなわち韓倭連合国の王とは「記・紀」に登場する仁徳天皇に他ならない。