邪馬台国は大和である (1971年)
・刊行:1980/10
・著者:肥後和男
・出版:秋田書店

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肥後 和男(ひご かずお、1899年(明治32年)4月8日 - 1981年(昭和56年)2月24日)は、日本の歴史学者。東京教育大学文理科教授、東京教育大学名誉教授。日本古代史の重鎮であった。茨城県大子町出身。従三位勲三等旭日中綬章。

『古代伝承研究』(日仏社会学会 編、河出書房〈社会学研究叢書〉、1938年)、『日本神話研究』(河出書房、1938年)、『日本国家思想』( 弘文堂書房〈教養文庫5〉、1939年)などの著書があり、昭和初期には邪馬台国論争に参入。

肥後は「倭姫命考」(『日本神話研究』、昭和13年(1938年)5月)「大和としての邪馬台国」(『邪馬台国』朝倉書店、昭和29年)なども含め、邪馬台国論争において、三輪山麓を意識し、邪馬台国の位置を「畿内」に、卑弥呼を「倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソヒメ)」に比定している。また、壱与を「豊鍬入姫命(トヨスキイリビメ)」としている。

「大和としての邪馬台国」(『邪馬台国』、昭和29年(1954年)9月)では、第十代崇神天皇の御世において、すでに九州は制圧されていた、とし、難升米はタジマモリの先代に比定した。

なお、弟子筋に室賀信夫がいる。

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