内藤虎次郎は「卑弥呼考」(明治43年(1910年))も含め、邪馬台国論争において、邪馬台国の位置を「畿内」に、卑弥呼を第十一代
垂仁天皇の皇女である「
ヤマトヒメ」に比定しているとされる。
卑弥呼=神功皇后説を打破し、邪馬台国九州説を唱えた
那珂通世と親しいとされる。
「卑弥呼考」は、
白鳥庫吉による邪馬台国九州説に応戦する形で発表されたもので、以降の邪馬台国論争における、
・白鳥―東京大学―九州説
VS
・内藤―京都大学―畿内説
の構図を作り上げることになる。
なお、「卑弥呼考」は
こちらにも収録されているという。
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